SCIX 20th AnniversaryVol.1


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SCIX創設20周年WEB連載企画
―それぞれのSTORY―

上田 敬博(うえだ たかひろ)さん

鳥取大学医学部付属病院救命救急センター 教授
1971年福岡市生まれ

救急医をやりながら寝ずに練習に通ってくる-。クラブ内では“ちょっと変わった人”で知られる上田氏のラグビーへの情熱は、小学6年生で観た平尾誠二さんの華やかなプレー、中学生で観た武藤コーチの泥臭いプレーへの憧れから。そこで学んだ「One for all, All for one」のラグビー精神は、「みんなの力が一つになって、一人の命が助かる」救命救急医療現場の指導医として、若手医療従事者の育成へと活かされている。

ラグビーとの出会い

 僕らの世代は野球が人気じゃないですか。サッカー漫画の「キャプテン翼」が小学校高学年くらいに始まったんですけど、まだ僕らの小学校には野球部もサッカー部もなくて、新しく赴任してきた先生がサッカー部を作るってことになって、4年生から6年生まではサッカー部に入ってました。

 小6の3月、卒業の時に、九州の小倉で当時、「朝日招待試合」というラグビーの試合があったんです。大学選手権の優勝チームと九州の社会人選抜チームが対戦する年一回のイベントです。その年は同志社大学と九州社会人選抜の試合でした。ちょうど同志社が大学選手権で3連覇を果たした年だったと思うんですが、母親が同志社大学出身ということで、同窓会経由でチケットが手に入り、僕と弟と母親の三人で、今は競輪場になっている「三萩野球技場」に観に行ったんです。それが人生で初めての生ラグビー体験でした。小学校6年生で、ルールはまだよくわかりませんでしたが、僕が見ても、明らかにずば抜けて光っていて、オーラがあったのが平尾さんでした。「この人誰や?」と。ルックスだけじゃなくて、プレーが華やかでかっこいいというか。キレキレの動きをしてました。今でもはっきり覚えてるのは、「あのヒゲのお兄ちゃん、めっちゃ上手いよね!」と弟と話していたら、平尾さんのファンなのか集団で来ていた女子大生が「君たちえらいね!」と言ってアメをくれました(笑)。それぐらい、平尾さんはかこよくて、凄かったです。

 中学校でもサッカーをするつもりだったんですが、それがきっかけで迷わずラグビー部に入りました。なんていうか……すごい縁なんですよね。サッカーからラグビーに転向しようと思ったのも平尾さんがきっかけでしたし、まさか後にSCIXに入ってこういう風になるなんて思ってなかったですから。

 中学校でラグビーを始めた頃だと思うんですが、一時期、平尾さんがイギリスに留学に行かれていたこともあって、メディアに全く出られない時期があったんです。僕らは中学生なので、そんなこと全然わからなかったんですが、その頃、テレビでたまたま観た大学ラグビーの試合で、めちゃくちゃ目立ってたいのが武藤さんでした。当時、九州では早明戦、早慶戦、大学選手権の準決勝と決勝戦をNHKで観ることができて、関西大学リーグも決勝戦だけは流れていました。その年は大阪体大と同志社の決勝戦だったと思いますが、平尾さんが卒業した後の同志社で6番(FL)として活躍していたのが武藤さんだったんです。

 僕のポジションは9番(SH)で、テレビの中継もボールをずっと追うので、各ポイントでボールをさばく9番の選手の動きはずっと見られるんですが、そのボールのあるところに、紺×グレ(同志社のジャージ)の6番が必ず映ってくるんです。ボールがどこへ行っても追いかけてくるし、ポイントがどこへ移っても戻ってくる。「このフランカーの運動量はどないなっとんねん?」と。それが武藤さんを初めて知った時の思い出です。平尾さんの次に、「この人凄い!」って思った瞬間です。

 ラグビーを始めたきっかけは平尾さんでしたが、「こういうプレーをしたい!」と中学の時に憧れたのは武藤さんでした。ほんとは平尾さんみたいに僕も10番(SO)とか12番(CTB)がしたくてラグビーを始めたんですが、背の低い人は基本9番っていうのが昔はあったので、まあしゃあないなと(笑)。でも、いざやってみると9番は面白いポジションでした。フォワードとバックスの繋ぎ目なので、いろんな選手を動かしながら攻撃を組み立てられる。それができる楽しさがありました。もし、もっと身長があったらフォワードの第3列をやって、武藤さんみたいなプレーがしたかった。とはいえ、僕らの世代はやっぱり10番が憧れのポジションでした。平尾さんの存在感が圧倒的でしたね!

SCIXとの出会い、憧れの人との対面

 医者になるために医学部に進学しましたが、大学ではラグビー部には所属せずに、大阪の社会人のクラブチームでプレーしてました。社会人のクラブチームといっても、大阪のクラブリーグでは第3シードを取るくらい、そこそこ強いチームでした。そこでレギュラーで9番を取っていたので、4年生の時には、「もうラグビーはこれでやりきった」という達成感がありました。だから、ラグビーは大学までと区切りをつけて、社会人になってから10年間くらいは、ワーカホリック状態で仕事に没頭しました。

 救命医療の現場はハードです。特に兵庫医大にいた頃は救急搬送が多くて、朝まで寝られないことがほとんどでした。一晩に7件ぐらい患者さんが運ばれて来るんです。重症患者の治療には、平均一人3時間ぐらい要します。単純計算で7件だと21時間。となると、医者は3時間ぐらいしか休めない。それが緊急医療の現場の実情で、僕もそれをずっとやってたので、心身ともにハードでしたね。

 ラグビーを再びやろうと思ったのは、仕事を始めて10年過ぎた辺りで、心身に余裕ができて、運動したくなったのがきっかけです。初めは夙川のテニスクラブに入って、テニスをやってました。結構楽しくて、上手くもなったんでが、「でも、これじゃない。自分はやっぱりラグビーがやりたい!」と思って、インターネットでクラブチームを探して、5つぐらい当たってみました。でも、全然レスがなくて…。当時すでに30歳を超えていたので、オーバー30とか年齢分けをしているチームを当たってみたんですが、レスがまったく来ない。そんな中で、SCIXにコンタクトを取ってみたら、「見学と練習を兼ねて一度来てみませんか?」という返信があって、そこに武藤さんの名前が書いてありました。「これって、あの武藤さんかな?」と思いながら、土曜日の夕方に灘浜のグラウンドに行ったんです。その日はラグビーを久しぶりにするので、チーム練習には参加せず、武藤さんと二人でランパスをしたんですが、僕のテンションは上がりっ放しでした。メールのやり取りだけでも興奮気味なのに、練習相手が、あの武藤さんですから…。ランパスの前にまず「本物や!」と思ったのを覚えています(笑)。

 次の週から練習に参加させてもらうようになったんですが、最初は酷かったです。10年間のブランクで、手の感覚が完全に消えていて、簡単なパスでも落としてしまうし、下半身も鍛えてないから、パスを放る時にも踏ん張れない。ラインの練習では、ほかの選手のスピードにもついていけないから、ポイントに入るのが遅くなって、ノーハーフ状態になってしまう。だから、ラグビーでは当たり前の話なんですが、よくバックスからは「プレーが遅い!」と文句を言われました(苦笑)。当時のSCIXは高校を出たばかりの選手とか、大学を出てすぐの22、23歳くらいの若いメンバーが多かったので、みんな速かったですからね。

 ただ、僕以外にも長いブランクのある人や、初心者の人もいて、同じようなことを言われていたので、ある時、それに気づいた武藤さんがみんなを集めて「SCIXは、個々人がそれぞれのレベルに合わせてラグビーを楽しむクラブチームや。だから、選手によってレベルに差があるのは仕方がない。それを認め合うのがクラブラグビーの基本やし、それをカバーし合うのがラグビーの本質や」という話をしてくれたんです。それからは、上手い下手に関係なく、みんなでカバーし合うラグビーをチームとしても目指すようになりましたが、武藤さんについては「やっぱり、何かを極めてる人は目線が高飛車じゃないんだな」と気づかされました。

 それは、平尾さんにも感じたことです。人間は道を極めても、天狗になったら終わりというか、むしろ道を極めてる人こそ、ずっと謙虚なんだなということを、SCIXに来てすごく感じました。それと、僕みたいに下手だけど地道に頑張ってる人への評価がものすごい高いんです。だから僕はここでやりたいし、だから平尾さんや武藤さんが好きなんです。

 とは言っても、10年間のブランクを理由に、これ以上チームに迷惑を掛けるわけにはいかない。そう思って、「プレーが遅い」と言われた日から、毎晩、仕事が終わってから河川敷を走るようになりました。以前いた病院から関西労災のある河川敷まで5kmくらいあるんですけど、そこを往復するんです。だいたい水曜が当直なので、当直明けで木曜の練習に参加するんです(当時は木曜も練習日)。途中で仮眠すると起きられないので、寝ないで練習に参加してました。そうやって頑張っていたら、3か月後くらいしたら、武藤さんから「最近、膝がよく上がってきてますよ」と言ってもらえるようになりました。その言葉で、「どんなにキツイ思いをしても、ちゃんと見てくれている人がいるんだ」と思い、「よし、もっと頑張ろう!」と思うようになりました。そしたら6か月くらいでフツーにトライ取れるようになりました(笑)。

 僕が練習していると、武藤さんによく「なんで先生はそこまで一生懸命にやるんですか?」と聞かれることがあります。僕のプレーは泥臭くて決して華麗ではありませんが、武藤さんは泥臭くボールを追いかけるプレーがわかっているから、「先生の一生懸命さはかっこいいです!」とSNSなどにも書いてくれます。でもこれは、武藤さんが現役時代にやってたプレーで、僕はそれを真似してるだけなんです(笑)。テレビの向こうで僕が憧れた武藤さんですけど、今は同じラグビー経験者として、これまで培ったものを、お互いの現場で今後の人材育成に活かしていくのが共通した使命かなと思っています。そういう意味で、公私共に「親友は誰ですか?」と聞かれたら、間髪入れずに「武藤さん!」と言っています。ただ、武藤さんは僕より7個年上ですからね。「親友はないやろ!」って怒られるかもしれないですね(笑)。

 平尾さんに初めてお会いしたのは、SCIXに入った年に「フットボールコーチングセミナー」をお手伝いした時だったと思います。事前に武藤さんから「救急医をやりながら、寝ずに練習に来てるちょっと変わった人がいる」とか「忙しいのに、よく講座やセミナーを手伝ってくれている」と聞いていたようで、平尾さんの方から「いつもSCIXを手伝ってくれてありがとう!」と声をかけてくれました。もうオーラがハンパなかったです!小学校6年生の時にグラウンドで見た時のオーラと全く変わらなくて。めちゃくちゃかっこよかったです!!僕が大学生の時に神戸製鋼が7連覇して、その後に阪神大震災があって…その後、仕事し始めてラグビーには全然関わってなくて、そういうブランクがあったのに、「生の平尾さん」にまさかお会いできるなんて思ってもいなかったし、そうやって声をかけてもらえるとも思ってもなかったので、めちゃくちゃ感激しましたね!!

 スティーラーズの練習試合があると、僕らも試合を見させてもらうんですが、そういう時に平尾さんにお会いすると、GMなのに現役の選手以上に写真とかサイン攻めに合ってるんですよ。そんな時でも、「ちょっと待ってな」と断ってから、僕のところに来てくれて「いつもありがとうな」と声かけてくれるんですよ。「あ、もう名前と顔を覚えてくれているんだ」と思って、嬉しかったですね。「もうこれはSCIX辞められへんな」って感じでした(笑)。

 平尾さんは目配り、気配りが本当に素晴らしいんですよ。めっちゃ周りを見てはるんです。「あぁ、彼がSCIXの上田くんか」みたいに見てるだけじゃなくて、その後に一声かけたり、どんなところで会っても必ず、自分から寄って来て声かけてくれる。会釈だけでは終わらない、ほんとにかっこいい人です。職場でもよく平尾さんの話をするんで、周りの看護師さんからは「平尾さん愛が強すぎる!」とか言われてます(笑)。

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ラグビーと救命はよく似ている

 今働いている「鳥取医大病院救命救急センター」からは、昨年4月にオファーがありました。当時勤めていた近大病院では、次の役職も決まっていて、灘浜のグラウンドも近いのでラグビーするには良かったんですが、鳥取医大から「救急の指導医がどうしても必要だから!」という声を熱心にかけてもらったことと、救急医として「地方の救急医療現場を支えたい」という強い気持ちもあって、行かせてもらうことになりました。今回の決断も僕にとっては大きな決断の一つだったと思っていますが、患者に向き合うスタンスも含めて、何かを決断する時には「ラグビーをやってたから」というのは大きく影響していると思います。

 例えば、重症患者への接し方は、ラグビーのタックルのように正面からぶつかっていきます。ラグビーでは、タックルに入るのが一番怖いと言われますが、怖いからと言って横から行ったり、斜めから入ったら、相手を倒すことはできない。だから、怖いけど正面から行く。怖いから、逃げないでぶつかって行って一発で倒す。重症患者に向き合う時も、タックルの「逃げない精神」と同じで、真正面から逃げずにぶつかっていかないと救命のチャンスを逃してしまう。それが救命医としての僕の診療スタイルなんですが、ラグビーの経験がなければ、こういうやり方は生まれなかっただろうと思っています。

 救急医療の現場もラグビーと同じで一人ではできません。重症患者が運ばれて来たら、循環、呼吸を保つ人、出血してる部位を止める人、手術する人、道具を出す人、麻酔科医がいてというように、役割分担があるんです。ずば抜けた医者が一人いても、救急医療はできない。それよりも個人個人が自分の役割を把握して、この患者を救うにはどうしたら良いかという共通した目的のために、全員で頑張るっていうことが大事なんです。これって、もの凄くラグビーに似てるでしょ? それをいつも若い医師や看護師には言ってます。「One for all, All for one」やで、「for all the patient」やで。「みんなの力が一つ合わさって、一人の命が助かるんやで」と。

 僕はいつも加点法でもの事を考えるんです。この人の良いとこはどこかなって。背が高い人だったらラインアウトが取れるし、背が低くても俊敏性に長けていて、相手を抜くのが速かったりする選手もいる。自分が持ってる長所を活かしながら、他の人の得意な部分を活かすことができるのがラグビーで、救命も同じだと思っています。脳外科が得意な人は脳外科をやる、お腹の手術が上手い人にはお腹をやってもらう。それを上手に使い分けながら進めていくのが救命の現場で、一人さえ良ければという考え方では成り立たない。また、救急医療は集団で動くので、時には考えが合わない人や場面にぶつかることもある。みんなそれぞれ専門分野があるから、個人の主張がぶつかることも少なくないんです。それでも上手くやっていかないと、オペは成功しない。そんな時は、2019年のW杯スコットランド戦のように、「みんなで繋いだトライの方が達成感があるやろ」という話をします。そこがラグビーの面白いところやし、救急医療も同じやと。自分だけオペが上手いとか、自分だけ知識があるとか言って、チームプレーを乱すようなら、さっさと開業するか、違う医療の現場へ行ってくれと。これは本当に毎回言うので、現場では「また始まった」と言われてます(笑)。

 「この人間はどこで使えるかな?」というのは、いつも平尾さんも言っていたことです。実際、大学までスクラムハーフ(SH)だった薮木さんを、神戸製鋼に入ってからいきなりスタンドオフ(SO)に起用して、チームを日本一に導いた話は有名ですよね。そういう人を見る眼、洞察力を平尾さんは持っていました。日本代表の肩書きを提げて、鳴り物入りで入ってきた選手も、肩書で評価するじゃなくて、まず自分の目で見て、彼はこういう動きが良いとか、キックが上手いとか、自分なりの判断基準を持って、その選手を評価する。確か薮木さんの場合は、走るフォームが綺麗だということで、スタンドオフにコンバートしたと聞いていますが、スクラムハーフという概念を一度捨てて、スタンドオフでもいけるのではないかという判断を下した、平尾さんの人材の活かし方はやっぱり凄いと思いますね。

文武両道の大切さ、そしてラグビーをする意味

 僕の実家は医者の家系なんですが、両親から「医者になれ」と言われたことは一度もありません。ただ、小学校の頃から親戚や近所の人とか周りの人に勝手に言われてたので「(医者に)ならんとあかんのやろな」と結構プレッシャーを感じてました。父親の弟も妹も医者で、その子供らも医学部に進んでいたので、医学部に行かなかったらドロップアウトみたいな雰囲気がありました。僕の従兄弟に芥川賞作家がいるんですけど、彼だけは文系に進んで作家になりました。芥川賞をとった時は、僕らのファミリーに一石を投じた感じがして、それがカッコよく見えましたね(笑)。

 僕の両親は教育熱心ではなかったですね。家庭の教育方針もあって、小学校の6年間は部活のサッカー以外、何もしていませんでした。塾も、習字も、そろばんも、習い事は何もしていません。中学校は私立を受験しましたが、サッカーしかしてなかったので、当然落ちました。だから中学も公立で、塾には通い始めたのも中学生になってからです。それでも高校は第一志望は落ちて、第二志望の私立に進みました。実はその後の大学も、第一志望の国公立を落ちて、第二志望の私立(近大医学部)に進みました。だから中高大の受験は、第一志望に全部落ちてという挫折を味わってるんです。それでもすぐに立ち上がってきたので、自分では「リロードの上田」なんて思ってます(笑)。何度挫折を味わってもすぐに立ち上がるというメンタリティーは、ラグビーをしてきた中で培われたものだと思います。ラグビーをせずに勉強だけしていたら、こうはなっていなかったでしょうね。

 SCIXの理念でもある文武両道は大事なことだと思います。日本の場合、アスリートのセカンドキャリアは個人の努力や責任に委ねられていますよね。現役時代に、どんなに良い成績を残したアスリートでも、セカンドキャリアまで保障されているケースというのはほとんどない。現役を終わってから、指導者の道に進んだり、メディアで活躍できたりするのは、本当に一握りの人たちだけで、ほとんどのアスリートが現役終了と同時にセカンドキャリアという壁にぶつかることになる。その一方で、野球やサッカー、ラグビーでも、高校の強豪校に入って活躍すれば、そこから大学やトップリーグに進めるというルートもある。アスリートとしてのトップを目指すことは当然のことですが、実はそこまで至らない選手の方が大半なので、現役時代にキャリアアップも見込めないまま、同時にセカンドキャリアを形成するチャンスを逃してしまうというケースが圧倒的多数です。これは日本のスポーツ界が抱える、大きな課題だと僕は思っています。

 そんな中でSCIXが、「学業もやりながら、スポーツも両立できる」という理念を掲げて活動することは、社会的にも大事なことだと思います。実際に、そういう文化ができているので、医学部や難関国立・私立大に進学する高校生が増えているんだと思います。平尾さんは「スポーツだけやっていれば、他のことはやらなくてもいい」という考え方や風潮を否定していました。だからSCIXには創設時から「文武両道」という理念があるんです。その方針に沿って活動してきたことが文化として根付いているので、今の中高生世代にも意識付けができている。これからもどんどん「文武両道」を目指す人材は増えていくだろうと思っています。

 自分が中高大でやってきたラグビーと、今SCIXでやっているラグビーは全然質が違います。平尾さんや武藤さんが培ってきたラグビーというのは、指導者が型にはめて教え込もうとする部活動のようなラグビーではなくて、選手個々が自分で考えてプレーする「考えるラグビー」なんです。それをやるようになったら、本当に楽しいんです。それがわかっただけでも、SCIXに入って良かったなと思っています。中高生の時代にSCIXでラグビーをやっていた子が、大学や社会人になってラグビー以外でも活躍しているのは、「考えるラグビー」をやってきたからだと思います。それをトップのレベルを経験したコーチ陣が指導しているので、そういうという環境の中から良い人材が生まれてくるのだろうと思います。

 平尾さんがいつも「コーチングセミナー」で言われていましたが、欧米ではスポーツが生活の一部になっているのに対して、日本ではスポーツエリートの養成や進学の手段になっているので、スポーツが市民生活の一部として身近なものになっていない。もちろんトップアスリートを育てるための活動も必要なのかもしれませんが、スポーツを市民生活の一部として身近なものにするためには、平尾さんが目指した地域に根ざしたSCIXのようなスポーツクラブがあることが大切なのだと思っています。今後僕たちがプレーできなくなっても、クラブとしてその精神を受け継いでいくでしょうから、今度はOBとして集合し、SCIXの活動を支えながら市民スポーツの発展に寄与できたら嬉しいと思っています。

 ラグビーはフィジカルの要素が強いので、この先そんなに長くはプレーできないかもしれませんが、ラグビーやSCIXにはずっと関わっていきたいと思ってます。SCIXには男女中高生の部があるので、そこで指導したり、ラグビー普及イベントに携わりながら、地域の子供たちにラグビーを教えたりできたらと思ってます。一般的に、医療関係者というのは社会的地位が高いと思われがちなんですが、そんなことはないと思わせてくれるのが、僕にとってはラグビーなんです。グラウンドで若い仲間とラグビーボールを追いかけている限り、年齢も、職業も関係ない。ラグビーを愛する一人の社会人なんだという原点に戻してくれるのが、僕にとってのラグビーなんです。

コロナ禍の医療現場とラグビー

 このコロナ禍で、自分以上に最前線でやっている医師や看護師とは常に連絡を取り合っています。コロナ禍の医療現場は自己犠牲の精神で成り立っているのが現状で、医療従事者への金銭的補償はほとんどありません。今、国が対応しなかったら、感染症の対応をする医師やナースはいなくなってしまう。それが本当の医療崩壊です。そうならないようにするには、どうしたら良いか。それをメディアなどを通じて、どう社会に伝えていくか。僕もその役割を担えればと思ってます。

 鳥取ではECMO(体外式膜型人工肺)を使えるのは、僕を含めて数人だけなんです。だから、重症患者が出た場合は、僕が先陣を切って治療に当たらなければいけない。その結果、自分もコロナに罹患するかもしれないという覚悟はできています。ただ、そういう人間の精神状態がいつまでもつか。そこを国や社会は考えて欲しいと思っています。

 今回のコロナ禍で、ほとんどのスポーツができない状況になりましたよね。それによって、競技スポーツや集団スポーツの重要性が、見直されてきたように思います。スポーツなくして生きていけない。我慢はできても、なしではやっていけない。やっぱりスポーツは人生の生活の中に必要なもの。スポーツをやってない人にとってもスポーツは大切。みんなそんな風に感じたんじゃないでしょうか?僕は今回の件で、人間の生活の中にスポーツは欠かせない、そういうところにフォーカスを当てて地域にコミュニティを広げるようなアクションが必要だと、強く感じているところです。

 今の日本は閉塞感しかないので、スポーツに取り組むきっかけを作る場所があまりにも少ないように感じてます。コロナが落ち着けば、「スポーツって楽しいで。(withコロナでも)スポーツはできるんやで」という取り組みを、まずSCIXがやって欲しいと思っています。もちろん僕も、救命救急医としてだけでなく、SCIXの一員としても声を上げたり、行動したいと思っています。日本はスポーツの立ち位置がまだまだ低いのが現状ですから、今回のコロナ禍をきっかけに、スポーツの社会的地位を見直すことになれば嬉しいですね。

 そんな中、4か月ぶりに灘浜グラウンドに行った時は本当に嬉しかったですね。トライするとか、いいプレーするとか以前に、グラウンドに転がったり、みんなで大声出して、ボール追っかけてっていうのが、めちゃくちゃ楽しかった。やっぱり、これがスポーツなのかなって思いましたし、自分の生活にはこれがなかったらダメだなって、その時に初めて自分の生活が元に戻ったことを実感しました。

 SCIXに入って自分の生き方にブレがなくなったように感じています。セミナーで平尾さんの話を聞いたり、武藤さんとご飯を食べに行って、いろんな話を聞かせてもらうことが自分の支柱作りになっています。偉そうには言えないですけど、これからは平尾さんや武藤さんから学んだことを、ラグビーをやってる人だけじゃなくて、若手の研修医とか医療現場でも伝えていければと思っています。それが今後の僕の使命かなと、思っているところです。

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インタビュー・文/中野里美