かつては、「日本のお家芸」といわれた女子バレーボール。いつのころからかメダルが遠のき、シドニー五輪では出場権すら手に入れることができなかった。しかし、昨年行われたアテネ五輪に向けての全日本チームは、実に素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。メダルこそ逃したものの、強い女子バレーの復活を示した戦いぶりは、多くのファンを魅了した。なかでも、主将としてチームを引っ張っていた吉原知子さんの奮闘ぶりには、目を見張るものがあった。全日本チームだけでなく、国内リーグにおいても常にエース、キャプテンとしてコート上でチームを牽引し続けている吉原さんとともに、「リーダーシップ」について語り合った。

吉 原これは、どの年代から競技を始めたらいいという意味でお聞きしたいんですが、たとえばラグビーの場合、日本代表選手クラスになろうと思ったら、かなり小さいころからやっていないと無理なんでしょうか。

平 尾そんなことはないですよ。もちろん、小さいうちから始めたほうが、楕円のボールに対する感覚などは磨かれると思います。ただ、小学まではいろいろなスポーツに親しんでもらいたい。それが、体のバランスを良くしたり、身体能力を高めるということにつながると思います。それで中学校ぐらいから、バレーボールをやるとかラグビーをやるというように、的を絞っていくのがいいと、僕は考えています。

吉 原 私もそうすべきだと思います。

平 尾 それでもバレーボールは裾野が広く、若い選手もどんどん出てきていますよね。

吉 原英才教育ではないんですが、小学校のころからバレーボールの強い学校に転校をする子どもたちがどんどん増えています。「将来、私は全日本に入りたい」という意思を持って、エリートコースを歩んでいくんですね。ただ、今も言ったように、私もある時期まではいろいろなスポーツをやった方がいいと思っているので、幼いうちからバレー一筋という道を「どうかな?」と感じることはありますね。

平 尾
幼いうちからエリート教育をさせると、バーンアウトというか燃え尽き症候群のようになるケースも少なくないですからね。むしろ、最初は種目を決めずにいろいろなスポーツをやってから、ひとつの種目に専念するほうが、後々、伸びることが多いんです。僕はSCIXでコーチングをテーマに、さまざまな指導者の方々と議論を交わしたりしていますが、一流の選手を育てた指導者の多くは、最初はいろいろなスポーツをしているほうがいいと言われますね。

吉 原 フィジカルな面だけでなくメンタルな部分でも、いろいろなスポーツを行うことにメリットがあるということなんでしょうね。

平 尾そうですね。いちばんいいのは、「いろいろやってみたけれど、僕にはバレーボールが向いているから本格的にやってみよう」という自分の意思を持って、ひとつのスポーツにのめり込んでいくというパターンではないでしょうか。

吉 原 それが最も理想的ですね。でも、なかなか難しいように思います。

平 尾そう、残念ながら日本ではそういう環境が整っていません。たとえばバレーボールのクラブに入った子どもが、別のクラブにも入って、数種目の競技を平行して行うということはあまりないですよね。それに、他のスポーツをやってみたくなったときに、今のチームから抜けようとすると、鬼のようなコーチが「やめたら、承知せんぞ」という世界がいまも残っているようですからね(笑)。もちろん、それによって「あのとき、やめないでよかったな」という人もいるから、それをすべて否定するわけではないけれど、やっぱり自分の中で「これだ」というものを感じで、ひとつのスポーツに専念できたらいいと思いますね。

吉 原 そうですね。

 

●プロフィール
吉原知子(よしはら ともこ):バレーボール選手 パイオニア・レッドウィングス所属。
1970年、北海道生まれ。180cm、61kg。中学からバレーを始め、北海道の妹背牛商高校を卒業し、1988年に日本リーグの名門、日立へ入社。95年にはイタリア・セリエAへ移籍、イタリアのオールスターゲームにも出場する活躍。帰国後、ダイエー、東洋紡に所属し、02年より現在のパイオニア・レッドウィングスへ。全日本として92・96・04オリンピック、90・94世界選手権、91・95・03ワールドカップなどに出場。04年のアテネでは主将としてチームを牽引。視野が広く、相手を攪乱させる巧みな技を持つ日本一のセンタープレーヤー。

●撮影/奥田珠貴


Copyright(C)2005 SCIX. All rights reserved.