かつては、「日本のお家芸」といわれた女子バレーボール。いつのころからかメダルが遠のき、シドニー五輪では出場権すら手に入れることができなかった。しかし、昨年行われたアテネ五輪に向けての全日本チームは、実に素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。メダルこそ逃したものの、強い女子バレーの復活を示した戦いぶりは、多くのファンを魅了した。なかでも、主将としてチームを引っ張っていた吉原知子さんの奮闘ぶりには、目を見張るものがあった。全日本チームだけでなく、国内リーグにおいても常にエース、キャプテンとしてコート上でチームを牽引し続けている吉原さんとともに、「リーダーシップ」について語り合った。

吉 原私、平尾さんの大ファンで、よく試合を見に行きました(笑)。

平 尾そうですか、ありがとうございます(笑)。

吉 原プレーもさることながら、キャプテンや監督としてチームを勝利に向かわせる手腕も素晴らしくて、今日は私のほうがリーダーシップなどについていろいろうかがいたいと思ってやってきました。よろしくお願いします。

平 尾本当は僕がゲストの方にお話を伺う企画なんですけどね(笑)。それはともかく、僕もバレーボールは好きで、よく見ています。
 それで、世界で戦ってきた吉原さんに、ぜひお聞きしたいと思っているのがルールのことなんです。バレーボールは、数年前にラリーポイント制が導入されましたが、それによってバレーの中身がものすごく変わった。そのルール変更が、日本にとって不利に働いたと僕は思っているんです。

吉 原
それぞれ考え方は異なると思いますが、私もどちらかというと日本に不利に働いているかなと感じています。なぜかというと、ルール改正によってリベロというレシーブ専門のポジションができました。外国には、体が大きくて攻撃力はものすごいけれど、レシーブが下手という選手がけっこういるんです。ルール改正前は、そういう守備の下手な選手がローテーションで後衛になったときに、そこをどんどん狙ってポイントを獲得することができたんです。

平 尾そこにうまみがあったんですね。

吉 原ところが、ルール改正によって新しくできたリベロというポジションは、後衛にいる選手とは何度でも交替できるので、大きい選手をそろえたチームがものすごく有利になりました。さらに、ラリーポイントであるから、何をしても1点につながるため、一発があるチーム、つまり高くて攻撃力のあるチームのほうが点を取りやすくなったんです。

平 尾なるほど。僕は子どものころからバレーボールを見ているので、かなりうるさいんですよ(笑)。森田(淳悟)さんとか、大古(誠司)さんが活躍されているころで、ミュンヘンオリンピックで金メダルを取ったこともあり、バレーボール熱がものすごく高かった。あの時代は、オリンピックでは男女ともにメダルを獲得していました。当時の日本のプレーというのは、精巧で緻密というイメージがある。ところが、ラリーポイント制になってから、バレーそのものが大味になった気がするんです。
 たとえば、僕の記憶では当時はサーブがあまり強くなかったこともあって、キッチリとレシーブをして、セッターにボールを返すと、そこからの攻撃が実に多彩だった。緻密な技があって、それがとても日本的だった。でも、ラリーポイント制によってサーブの考え方がものすごく変わり、その変化が日本人には向いていないように思います。あのルールを変えないと、日本は勝てないのではないかなどと考えてしまうのですが…。

 

●プロフィール
吉原知子(よしはら ともこ):バレーボール選手 パイオニア・レッドウィングス所属。
1970年、北海道生まれ。180cm、61kg。中学からバレーを始め、北海道の妹背牛商高校を卒業し、1988年に日本リーグの名門、日立へ入社。95年にはイタリア・セリエAへ移籍、イタリアのオールスターゲームにも出場する活躍。帰国後、ダイエー、東洋紡に所属し、02年より現在のパイオニア・レッドウィングスへ。全日本として92・96・04オリンピック、90・94世界選手権、91・95・03ワールドカップなどに出場。04年のアテネでは主将としてチームを牽引。視野が広く、相手を攪乱させる巧みな技を持つ日本一のセンタープレーヤー。

●撮影/奥田珠貴


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