佐 野世の中は物事が平均化していくので、エントロピーは小さくなっていく。どんどん平均化していく流れは仕方がないのですが、日本が戦後あるところまでやってきたやり方というのは、資本の効率が落ちていくのは仕方がないというやり方だったのです。80年代までは。「どんどん資本装備はよくなるが、資本家に支払うお金は少なくなる。なぜならば、たくさん資本があるから」という発想だったのです。ところが90年代に入ってから、「そんなことはない。資本はどこにでも行けるのだ」という発想になってきた。「日本にいれば5%しか回らないのに、アメリカに行けば10%で回るではないか。もっと他の国にいったら15%でも回る。多少、リスクは伴うかもしれないが、そちらに行った方がいいのでないか」という発想になってきたのです。
平 尾なるほど。
佐 野そうなると何が起こるかというと、発想として途端に資本が強くなる。日本の企業も、それまで軽んじていた動きを変えて、資本に対して「3%ではなく10%お支払いします」と言い出した。ところが、労働者との関係ではそれが整理しきれていない。原料に対しても整理しきれていない。だから、気づいてみたらものすごくコストが高くなっていた。よって、どうしたらいいか……。資本という軸をもって、その軸に合わせようと考えると、やはり海外に行った方がいいのです。資本を一番中心に置いた経営をやろうとすれば、ですね。
平 尾なるほど。気付いてみたら資本のルールが中心になっていたというわけですね。
佐 野そうなんです。私が一番初めに申し上げたように、ういう状況の中で気付いてみたら日本はもうルールを変えられていた、全部資本のルールてやるのだ、と。たとえば、100億のお金を使って10億円の利益を求めた場合に、もし3億の利益しか出ていなかったら、「それはおかしい。3%しか利益が出ていないではないか。本来は10%で回らなければいけないのだから、この100億を30億としての価値がないと見直そう」ということで、「その分だけ資産がなかったことにしよう」という発想になってくるのです。これが一種のバランスシートの考え方なのです。また、不良債権処理問題にしても「この100億円は投資を受けたものなのに、それをもとに設備投資したこの機械には30億円の価値しかない」となれば、「土・日はもちろん、夜も使っていないのだから、結果的には3億しか利益は出てこないはずだ。よって、この機械設備は30億の価値しかないのだ」と言い出した途端、70億の貸し倒れという発想になるのです。だから、「この分だけ不良債権なのだから、銀行は処理しなさい」という議論なのです。
平 尾なるほど。
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