『オーケストラの鼓動』というビデオがある。客演で招かれた指揮者が、2〜3日という短い時間でコンサートに向けてオーケストラを仕上げていく過程が描かれている。自分が表現したいことをどう伝え、個性溢れるオーケストラのメンバーをどうまとめていくのか。チーム作りをしてきた私にとって、とても興味深い内容だった。そのビデオで見事なリーダーシップを発揮していたのが、佐渡裕氏。現在はフランスとイタリアを中心に、海外で活躍をしている日本を代表する指揮者である。今回は、氏とともに日本と欧米との相違、個性派集団をまとめる統率力などについて、音楽とスポーツというお互いの立場から意見を交わした。

平尾以前、NHKの番組で佐渡さんと対談をしたことがありました。

佐渡NHK教育テレビで、「知育、徳育、体育」について話をしましたね。

平尾あのときは、「もっと自由に音楽に触れさせたら、豊かな発想が生まれるのではないか」というような内容になりました。実は最近、僕が出した本(『「日本型」思考法ではもう勝てない』)の中で、河合(隼雄)先生と対談をしているんですが、そこでも日本のコーチングは型にはめることが多いという話が出たんです。それで、うかがってみたいと思ったんですが、指揮者にも「型」があってそれを意識することはあるんですか?

佐渡結局、指揮をするときの動きに、型はないと僕は思っています。斎藤秀雄先生といって、小澤征爾先生の恩師だった方が『指揮法教程』という本を書いているんです。その本は、指揮者の教本みたいなもので、指揮をするときの手の動かし方なども出ていますが、「こういう動きをしたときに、自分の言葉を使わなくても説明できる、物事がハッキリ見えてくる」というようなことが書いてあるんです。要するに、「この動きによって相手が取りやすいパスを送ることができるぞ」という内容であって、決して「型」を書いているわけではないんです。

平尾なるほど。指揮の型を教えているわけではなく、「動きによって何を伝えられるか」ということを言っているわけですね。

佐渡そう。たとえば小澤先生の指揮について、「型」があると受け止めている人はたくさんいるでしょうが、僕は型がないと思っています。少なくとも、発信している側は型を作ろうとはしていないはずです。

平尾「型」があるといわれるのは、それは見ている側が小澤さんの「型」と受け止めているだけだと。

佐渡そうですね。小澤先生の指揮の仕方は、この10年間でものすごく変わってきているし、30代の頃の振り方からすれば無駄なところはずいぶんなくなって、オーケストラに任せるようになってきている。ちょっと専門的なことになりますが、指揮者というのはオーケストラが実際にどんな音を出しているのか、指揮をしながら必死で聞いているんです。その上で、交通整理のお巡りさんのように、必要に応じて「お前は、ちょっと出過ぎだ」とか、「お前は、もっと前に出てこい」というようなことをやるわけです。もちろん、その前には楽譜という設計図があって、それを見ながら自分はこういうものを作りたいとオーケストラに意思表示をします。そして、演奏中はみんながその方向へ向かっているかということに、いつも耳を澄ませる。指揮者にとってはそこが重要であり、腕をどう動かすかということ自体が大事なわけではないんです。

 

●プロフィール
佐渡 裕(さど ゆたか):1961年5月13日、京都市生まれ。ピアノ教師だった母親の影響から3才でピアノ、小学生からはフルートを始める。京都市立芸術大学ではフルートを専攻するが、指揮者への夢を追いかけて在学中からアマチュアオーケストラの指揮をこなす。87年、タングルウッド音楽祭で小澤征爾に見出され、レナード・バーンスタインのレッスンを受ける。89年ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。翌年、新日本フィルハーモニー交響楽団との演奏会で、プロの指揮者としてのデビューする。93年からパリのコンセール・ラムルー管弦楽団の主席指揮者を、99年からはジュゼッペ・ヴェルディ・ミラノ交響楽団の主席客演指揮者を務めている。日本では子どもたちへの音楽教育プログラムなどを積極的に行っている。また、今年は6〜7月にかけて恩師レナード・バーンスタインの不朽の名作「キャンディード」の公演を東京・愛知・大阪で行う。最新CDは『サティ作品集・ジムノベディ』(ワーナーミュージック・ジャパン)、著書に『僕はいかにして指揮者になったのか』(はまの出版)がある。

 

 
 
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