平尾以前、NHKの番組で佐渡さんと対談をしたことがありました。
佐渡NHK教育テレビで、「知育、徳育、体育」について話をしましたね。
平尾あのときは、「もっと自由に音楽に触れさせたら、豊かな発想が生まれるのではないか」というような内容になりました。実は最近、僕が出した本(『「日本型」思考法ではもう勝てない』)の中で、河合(隼雄)先生と対談をしているんですが、そこでも日本のコーチングは型にはめることが多いという話が出たんです。それで、うかがってみたいと思ったんですが、指揮者にも「型」があってそれを意識することはあるんですか?
佐渡結局、指揮をするときの動きに、型はないと僕は思っています。斎藤秀雄先生といって、小澤征爾先生の恩師だった方が『指揮法教程』という本を書いているんです。その本は、指揮者の教本みたいなもので、指揮をするときの手の動かし方なども出ていますが、「こういう動きをしたときに、自分の言葉を使わなくても説明できる、物事がハッキリ見えてくる」というようなことが書いてあるんです。要するに、「この動きによって相手が取りやすいパスを送ることができるぞ」という内容であって、決して「型」を書いているわけではないんです。
平尾なるほど。指揮の型を教えているわけではなく、「動きによって何を伝えられるか」ということを言っているわけですね。
佐渡そう。たとえば小澤先生の指揮について、「型」があると受け止めている人はたくさんいるでしょうが、僕は型がないと思っています。少なくとも、発信している側は型を作ろうとはしていないはずです。
平尾「型」があるといわれるのは、それは見ている側が小澤さんの「型」と受け止めているだけだと。
佐渡そうですね。小澤先生の指揮の仕方は、この10年間でものすごく変わってきているし、30代の頃の振り方からすれば無駄なところはずいぶんなくなって、オーケストラに任せるようになってきている。ちょっと専門的なことになりますが、指揮者というのはオーケストラが実際にどんな音を出しているのか、指揮をしながら必死で聞いているんです。その上で、交通整理のお巡りさんのように、必要に応じて「お前は、ちょっと出過ぎだ」とか、「お前は、もっと前に出てこい」というようなことをやるわけです。もちろん、その前には楽譜という設計図があって、それを見ながら自分はこういうものを作りたいとオーケストラに意思表示をします。そして、演奏中はみんながその方向へ向かっているかということに、いつも耳を澄ませる。指揮者にとってはそこが重要であり、腕をどう動かすかということ自体が大事なわけではないんです。
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