『スポーツは「良い子」を育てるか』という本に出会った。スポーツジャーナリストの永井洋一氏の著書である。そこには、少年期にスポーツをさせておけば、礼儀正しく協調性のある「良い子」に育つという親の思い込みの犠牲になっている子どもたちの実態や、しつけを身に付けさせるのがスポーツの役割だと勘違いしている指導者がいかに多いか実例とともに紹介されていた。そして、本来ならば少年期にスポーツを通して吸収できるはずの「主体性」や「創造性」といった「スポーツ・インテリジェンス」が、置き去りにされている現実に警鐘を鳴らしている。そこで、今回は著者の永井氏とともに、真の意味で選手を“育成”する指導のあり方、スポーツを通して自立・独立(インディペンデント)できる人間を育成することの重要性について話し合った。

平 尾今日は永井さんにぜひお聞きしたいことがありまして…。日本は自国開催の02年ワールドカップで、ベスト16という成績を残しました。トルシエ監督の指導法については、賛否両論いろいろありましたが、とりあえず一つのミッションをクリアした。それで、国民は次なるステージでの、更なる飛躍を期待しているわけです。そこで、今度はジーコが監督になった。両者はタイプがまったく異なるわけですが、ジーコ監督を永井さんはどのようにご覧になっていますか。

永 井僕は、ジーコの方法が100%良いとは思ってはいないけれど、今の日本サッカー界は今の彼のやり方に適応していかないと将来はないと思っています。その意味ではジーコ支持派ですね。

平 尾なるほど。もちろん、チームの現状そのものは指導者であるジーコ監督が責任を負わなければいけないけれど、とりあえず彼の言っていることを理解してついて行けよ、ということですね。

永 井そうですね。ジーコ監督には、「攻撃のパターンを決めるのは簡単だけど、それを相手に読まれたらそれで終わりだ」という考えが基本にあるんです。実際のプレーでは場面に応じた臨機応変な力が求められるし、今の日本に足りないのはまさにその部分なのだと。だから、常に選手同士が互いの得意なプレーを「あ・うん」の呼吸で合わせられるように理解し合うことを求めています。平尾さんも現役時代には、「こういうときはここにボールが欲しい」とか、「こんな場合はパスを回すな」というような、プレーの好みというか、癖があったと思うんです。それを選手同士で分かり合って、互いの長所を生かす中で神戸精鋼のような強いチームを作られた。そうやって、選手同士でプレーを醸成していけというのが、彼の監督としての基本的な方針なんです。

平 尾ジーコの教えというのは、そういうことなんですね。

永 井ただ、それまでの流れからいって、つまり選手達が育ってきた上意下達の日本的スポーツ環境とか、トルシエが4年間かけて徹底した方法の残像とかの影響があって、選手たちにはそれが受け入れにくい土壌があった。つまり日本の選手にとっては、「お前たちで考えろ、話し合え」と言われるよりも、監督が強権を発動して「こう攻めろ」と言われた方がやりやすいんです。だから、ジーコが監督に就任してから日本代表はしばらく迷走しました。最初のころは、試合で選手がもたついていたでしょう。

平 尾最近はだいぶ板についてきたという感じですよね。

永 井そうですね。最近はようやく選手たちも自分のすべきことが分かってきたなと思います。

 

 

●プロフィール
永井洋一(ながい よういち):スポーツジャーナリスト
1955年、横浜市生まれ。成城大学文学部卒業。大学在学中に少年サッカーの指導を始め、卒業後、地域に密着したスポーツクラブを理想に掲げてサッカークラブを立ち上げ、専任のコーチとして運営にあたる。その後、日産FC(現 横浜F・マリノス)のコーチングスタッフに。スポーツ専門誌の編集を経て、現在は豊富な経験と知識をベースに、サッカーを中心とした執筆活動を展開。著書に、『スポーツは「良い子」を育てるか』(NHK出版)、『日本代表論』『絶対サッカー主義宣言』(双葉社)など。


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