平 尾今の話のように、勝つことに執着して自主性を身に付けたり判断力を養うということが置き去りにされている弊害がある一方で、高校生の段階で情報過多になっていわば頭でっかちになっている状態も見受けられます。
今は、情報がものすごく豊富です。僕らが高校生のころは、海外のラグビー情報を得るのは大変でした。ところが、今は雑誌やインターネットでいくらでも情報を得ることができる。ケーブルテレビで海外のトップクラスの試合を見ることもできる。そういう中で、たとえば生徒の自主性に任せて、練習メニューや試合での戦略などすべてを生徒が考え、それを実践している学校もあります。生徒は実によくラグビーの勉強をしていて、知識も豊富です。無駄な動きとか強引さがそぎ落とされて、実にスマートな試合をする。大学生より効率のいい試合運びをするほどです。でも、「ちょっと、やりすぎなんじゃないか」と感じることがあるんです。

永 井つまり、変にラグビーを知りすぎているわけですね。

平 尾そうなんですよ。無駄走りをするのも、進化のプロセスの中に必要だと思うんです。自分で走ってみて、「これは無駄なんじゃないか」と疑問を持つ。そこで、無駄を一つ削っていく。その繰り返しで、徐々に無駄をそぎ落としながら、技術が向上するわけです。それを、はじめから無駄だという結論の中ですべてをそぎ落としてラグビーをしていたら、次のステップが厳しくなりますよね。

永 井老成しているわけですね。サッカーでも、そういうチームはありますね。みんな賢くて、サッカーのことをよく知っている。テクニックも、ものすごくある。だけど、ちょっとしらけているというか、冷めているというのか…。そういうチームは、最後の最後の勝負で「理屈抜きだ」というときに勝てないんですね。

平 尾ゲームをすると、今おっしゃった「理屈抜き」ということが出てきます。ゲームが高度化すればするほど、その中で理屈抜きの我慢比べがある。あるいは、「あ、失敗した」というところから思わぬ展開になることもある。要するに、理屈では考えられないこと、予測できないことが出てくるのがゲームなんです。理屈で固まってしまっていると、そういう場面には弱いですね。

永 井そうですね。そういうチームの戦いを見ていると、負けるときは僅差の負けとか、最後に逆転されたとか、そういうことが多いですね。「いいサッカーしているのに、何で負けちゃうの?」という感じです。

平 尾「内容では勝っているのに」というゲームですね。ただ、理屈を知っているから、あるいはいろんなことを熟知しているから、しらけてしまうとは限らないと思います。そこは、教え方でクリアできるのではないでしょうか。

永 井おっしゃる通りですね。

 

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