平 尾具体的には、どんな指導に変えたんですか?

永 井当時の日本のサッカーが弱かったのは、技術レベルが低くて戦術的判断が未熟だったからなんです。なぜかというと、まず技術レベルについては技術を身に付ける練習を少年時代からきちんとしていないということがあった。苦しむ練習が良い練習で、テクニックを伸ばしていくような丁寧な練習は「楽な」「甘い」練習という誤解がありました。また、テクニックそのものに対しても「足先のごまかし」というような誤った観念があった。戦術的判断については、選手一人一人に局面ごとに考えさせる練習、つまり判断力を磨く練習がまったくといっていいくらい、なされていなかった。先ほども言いましたが、それまでは監督が右と言ったら右に行くのが当然で、そこで「左もあるんじゃないかな」などと考えていたら、即ゲンコツが飛んできたんです。だから僕は、徹底的に技術を身に着けさせ、同時に個人の判断力を十分に養う指導をすべきだと考えたんです。自由にボールが扱えて、相手の意表をついたり裏をかくようなことを当意即妙に判断していく。そういう能力を身に付けさせることを理想にしました。

平 尾永井さんのそういう考え方は、周囲にすんなり受け入れられましたか?

永 井年長の人たちからは「実戦的じゃない」と批判されましたね。そんな気長にテクニックなんか伸ばしていたら、すぐ明日の試合に勝てないじゃないかと。カラダでぶつからなきゃ勝てないよと。あんなにドリブルやパスをさせないで、ドーンと前に大きく蹴っておけば勝てるのに、バガだねと。それと、預かっている子供たちの親からも批判されました。よそのチームは、ラグビーのタッチアウトのようにすぐにドーンと蹴るのに、ウチの子たちはモタモタとドリブルしたりバスをつなごうとする。危なっかしくて見ていられない。「考えさせる」なんでことはどうでもいいから、よそのチームのようにすぐに勝てそうな指導をしてくれと。だから僕の周囲は、子供の親も含めてすべてが僕の批判者みたいな状況でした。

平 尾その後、日産FC(現・横浜Fマリノス)の下部組織でプロのコーチとして招かれたわけですよね。そこでは理想の指導ができましたか。

永 井そこではまた別の摩擦がありましたね。当時の日産は育成の組織を立ち上げたばかりで、僕以外のコーチは現役を引退した元選手で、そういう人たちの考え方と、僕の指導理念との間には大きなギャップがありました。僕も30歳になったばかりで血気盛んだったし、それまで10年近くコーチングの勉強を徹底的にしてきて、「理想」に向かって猛進しているという状態だった。一方、元選手の人たちにも、国内のトップレベルでプレーをしてきたという自負があって譲れない部分がある。お互い、なかなか妥協ができず、毎日「ああだ、こうだ」という議論が続きました。

平 尾選手をやってきた人には、自分が育ってきた「経験」がありますからね。

永 井そうですね。僕も選手経験はものすごく大事で、軽視してはいけないと考えてます。ですから、平尾さんのように最高の経験を持った人が指導者になるのが一番の理想だと思っています。ただ、経験のみで突き進むというのも片手落ちで、一方できちんと理論的な肉付けもしてほしい。経験と理論、両方のバランスがとれればいいと思います。

平 尾元選手たちの持っている練習の経験は、いい経験とは言えないものもある。先ほどおっしゃったように、自分で判断するという練習をしてきていないですから。
僕は、「考える」という習慣が何事においても重要だと思っています。人間力を向上させていく場面で、常に「これで本当にいいのかな」と考える、そういうことが大切なんじゃないかと。でも、永井さんが言われるように、サッカーだけでなくほかのスポーツでも、選手個人に考えさせることはあまりありませんでした。結果がどうであれ、監督の指示をきちんと守ることが絶対で、それが「スポーツばか」という言葉の由来にもなっている。本来、考える力はみんなもっているんです。ただ、考える習慣がないだけで。

永 井そういうことなんですよ。

平 尾よく、日本人は判断力がないといわれます。確かに、ラグビーでもほかの強豪国に比べると、日本選手の判断力は劣っている。でも、DNAに判断力の素地がないのかというと、そんなことはない。ただ、考えるという環境がないだけで、ちゃんとその機会を持たせてあげれば、いくらでも向上するはずです。

永 井僕もそう思います。

 

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