『スポーツは「良い子」を育てるか』という本に出会った。スポーツジャーナリストの永井洋一氏の著書である。そこには、少年期にスポーツをさせておけば、礼儀正しく協調性のある「良い子」に育つという親の思い込みの犠牲になっている子どもたちの実態や、しつけを身に付けさせるのがスポーツの役割だと勘違いしている指導者がいかに多いか実例とともに紹介されていた。そして、本来ならば少年期にスポーツを通して吸収できるはずの「主体性」や「創造性」といった「スポーツ・インテリジェンス」が、置き去りにされている現実に警鐘を鳴らしている。そこで、今回は著者の永井氏とともに、真の意味で選手を“育成”する指導のあり方、スポーツを通して自立・独立(インディペンデント)できる人間を育成することの重要性について話し合った。

平 尾先ほど、コーチを始められたきっかけについて「こんな指導をしていたら絶対にうまくならないと思っていた」とおっしゃいましたが、それはどういったことですか?

永 井まず、指導方法のナンセンスさですね。これはサッカーに限らず、当時の日本のスポーツ全体に言えたことだと思います。「練習中に水を飲んではいけない」という迷信を筆頭に、体を追い込んで泥まみれになって、とにかく苦しむことがスポーツの練習なんだという風潮があった。練習プログラムの組み方にしても、計画性や合理性があるものは少なかった。また、指導者と選手が話し合うなどという環境も乏しく、選手が指導内容に対して「なぜ」「どうして」などと疑問を投げかけたりすることもほとんどなかった。だから当時は、とにかく指導者に言われたことに忠実に、何も考えずに馬車馬のように、体力任せにプレーする選手が高い評価を受けるようなところがありました。非科学的でナンセンスな指導と、それに盲目的に従う選手が優秀とされる環境。こんなことを続けていては、いつまでたっても海外のチーム太刀打ちできる競技力は育たないと思ったんです。

平 尾どの競技も同じですね。そういった考えが、上から下まで、隅から隅まで広がっていました。ただ、ここのところだいぶ変わってきたように感じますが。

永 井ちょうど、僕らの世代が変わり目ではないでしょうか。同じ世代に、ガンバ大阪の監督をやっている西野朗さんがいるんですが、彼は現役時代、すごくセンスがあってスマートなサッカーをする選手でした。今でいうなら、中村俊輔みたいなタイプです。大学生のころから日本代表に選ばれたりしていましたが、がむしゃらにいくタイプではなかったので「気持ちが入っていない」とか「足先だけのサッカーだ」などと言われることも多くて、本来の才能に見合っただけの評価を得ることができなかった。だから彼は、そうした古い価値観の指導を改善していくという部分にものすごく意欲を持っていて、プロの指導者になってからは、若手が誤った評価に埋もれないよう、彼らの隠れた才能を上手に引き出して育てています。アトランタオリンピック(1996年)では、彼が監督を務めてブラジルに勝ちました。

平 尾中田(英寿)とか、川口(能活)とか?

永 井ええ。中田、川口、それから松田直樹、城彰二、前園真聖、田中誠などといった選手もアトランタ五輪世代です。そして彼らが成長して、ワールドカップ初出場のフランス大会(98年)のメンバーに入った時、チームの指揮を執ったのが岡田武史さん。彼も私とほぼ同世代ですが、世界レベルで闘える選手を育てるためには、日本的なものを変えていかねばならないとレポートしている。私は西野、岡田両氏のように日本を代表するようなレベルでは動いていませんが、「従来の日本のスポーツ観を自分たちで変えていかなければ、」ということを強く感じた世代という意味では、同じ意識を持って生きてきたと思います。

 

●プロフィール
永井洋一(ながい よういち):スポーツジャーナリスト
1955年、横浜市生まれ。成城大学文学部卒業。大学在学中に少年サッカーの指導を始め、卒業後、地域に密着したスポーツクラブを理想に掲げてサッカークラブを立ち上げ、専任のコーチとして運営にあたる。その後、日産FC(現 横浜F・マリノス)のコーチングスタッフに。スポーツ専門誌の編集を経て、現在は豊富な経験と知識をベースに、サッカーを中心とした執筆活動を展開。著書に、『スポーツは「良い子」を育てるか』(NHK出版)、『日本代表論』『絶対サッカー主義宣言』(双葉社)など。


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