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               村上 きっとそれは、日本人だけで理解し合っていることの容量が多いんでしょうね。 
              平尾 そう思います。 
              村上 大工さんたちが「気持ち、上」などと言いますけれど、英語にはそういう言い方はないでしょう。 
              平尾 たぶん、ありませんね。何ミリとか何センチということとはちょっと違ってくるし…。 
              村上 ただ、「気持ち、上」とかいうときの「気持ち」という言い方も、今の若い人はつかんでいないような気もするんです。 
              平尾 そうかもしれません。 
              村上 文脈ということだと思うんですが、共通の理解が少しずつ崩れているように思います。 
              平尾 なるほど。 
               村上 知り合いの大学の先生から聞いた話ですが、「人の言うことは聞け」とか「人のことを考えろ」と言いますよね。その時の「人」というのは、おそらく平尾さんぐらいの世代までは「世間」という捉え方をする。ところが、今の若い人はそうではないそうなんです。たとえば、電車の中で携帯電話で話したりメールを打ったりしている人に、「人の迷惑を考えろ」と言ったとします。そのときの「人」とは誰をイメージするかというと、携帯電話の相手だと考える大学生が少なくないというんです。だから、通じないんですよね。「人が迷惑する」といっても、携帯の相手はちっとも迷惑なんかしていないと思ってしまって(笑)。 
              平尾 ハハハハ、そうなんですか? 
              村上 そうらしいです。だから、「気持ち、上」の「気持ち」とか、「ちょっと」とかいった言葉も、次第に計量化できるように変えていかないと通じなくなるかもそれないですね。 
              平尾 なるほどね。でも、そういった言葉が通用するというのは、非常に効率がいいんですよね。 
              村上 そうなんですよ。今までは言葉の定義なんてなくても、文脈で理解していた。だから、明確に言わなくても通じていたんです。たとえば、ビジネスの時の「もう一度考えさせてもらいますよ」という言い方は、英語に直訳したら本当に考え直すと受け止められるだろうけれど、ほとんどの日本人は否定を意味しているということがわかる。これは、均一化社会が続いた中で、文脈を共有してきたから通じることなんです。ただ、言葉の定義は共有されてはいない。それが曖昧なコミュニケーションにつながるし、そこから生まれる習慣やものの考え方の枠組みのようなものがスポーツにも反映してきているんだと思います。 
              平尾 そうですね。基本的な思考というのは若いときに作られて、それをもってスポーツをするわけですから。ごく基本的なものの考え方などを教わる段階で、ラグビーとかサッカーにはあまりそぐわない考え方を教わっているように感じます。 
              村上 たしかに、ラグビーやサッカーには合わないですね。 
              平尾 そうですね。だから、ラグビーやサッカーなどのゴール型の競技で、日本は一つも強いものがないんですよ。 
              村上 むしろ、弱くなっているような気がします。 
                 
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