村上サッカーやラグビーというスポーツはプレーの連続ですよね。
平尾そうですね。
村上昔、平尾さんが神戸製鋼でやっていたような、流れの中でフォーメーションやポジションを変えていく面白みというのは、野球にはあまりありませんね。せいぜい、ファーストにランナーがいるときに左中間を抜く二塁打を打って、外野から中継したボールが返ってきてホームでクロスプレーになるという場面ぐらいですよね。
平尾プレーが流れて続くのは、そのぐらいですね。
村上あとは、バーンと切れちゃう。
平尾そうなんですよ。野球はその都度考える時間があるけれど、ラグビーやサッカーのようなゴール型の競技はゆっくりと考える時間がない。ものすごく短い時間で状況判断しなければならないわけですから、判断力や決断力、実行力が備わっていないといいプレーヤーとはいえないんです。ただ、意外にそういったプレーヤーを育てようとしている指導者が少ないように思いますね。とくに学校の中でのスポーツを見ると、模範のプレーヤーというのは“監督のいうことをちゃんと聞く生徒”ということになる。
村上確かに、そうですね。サッカーを見ていると、たとえば敵の攻撃が失敗に終わってキーパーがボールをキャッチしたとき、日本のチームだとキーパーがボールを渡す選手を探すことが多いんです。ヨーロッパや南米のチームではそういうことはほとんどなくて、キーパーがボールをセーブする瞬間には味方のフィールドプレーヤーがボールをもらいに走っていっている。「キーパーがボールを捕ったら、誰がもらいにいくのか」ということが戦術として決まっているなんてことはあり得ないわけだから(笑)、その時の状況でサッと判断するわけです。日本の選手を見ていると、監督から「こうしなさい、ああしなさい」と指示が出ていないことは、不得意なんじゃないかと感じますね。
平尾そうですね。やはり、自分で判断するような指導がなされていないからでしょう。
村上この状況ならば自分はどこに出ていっていいのかとか、自分がスペースに入ったときに誰がリカバリーするのかといったことは、日本では教えられるというイメージがあります。でも、ヨーロッパや南米ではごく自然に身に付いている。もちろん、子どものころに「このポジションの選手が前に出たら、お前はこうするんだよ」ということを、ボードを使って教えることもあるだろうけど、ヨーロッパや南米の選手にとってはカバーリングが血肉になっているような…。
平尾条件反射的に動けるということですね。
村上そうなんですよ。日本の選手は、たとえ中田のような卓越したプレーヤーであっても、周りを見て動いている。でも、向こうの選手はそこにスペースがあると思ったら、すぐに行くんです。そこにはリカバリーの信頼関係、つまり「空いているスペースに自分が出ていっても、本来守るべきところは誰かがカバーしてくれる」という気持ちがあるから行けるんです。逆にリカバリーする選手は、「自分もああいう局面では前に出るから、自分もリカバリーしなければいけない」という考えがある。そういったことが、フィールドプレーヤー10人にものすごく徹底されていると思います。状況は絶えず変わっていくので、「自分がこのスペースに出ていったら、カバーしてくれる選手はいるだろうか」ということを考えていたら、間に合いませんからね。
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