21世紀、スポーツはどのようにあるべきなのか? これからの社会の中で、スポーツはどういう役割を果たすことができるのか? スポーツの将来を語るとき、スポーツという狭い枠の中だけで考えを巡らせていたのでは、発展的な発想は得られない。広い視野をもって社会や時代をとらえていかなければならないだろう。村上龍氏はさまざまなジャンルを題材に精力的に執筆活動を展開し、そのどれもに独自の視点をもち時代の一歩先を見据えている。サッカーやF1をはじめ、スポーツにも造詣の深い村上氏とともに、21世紀の日本のスポーツのあり方について語り合った。

平尾村上さんはサッカーをはじめとして、いろいろなスポーツについて書かれていらっしゃいます。ラグビーについても取り上げられたことがありますが、ラグビーの現状についてはどんなふうに思われますか?

村上日本のラグビーがなかなか強くなれないことに関しては、プロ化されていないことが大きいと感じます。というのも、プロフェッショナルなところで鍛えられることによって達するレベルというものがあると思うからなんです。野球にしてもサッカーにしても同じですが、サッカーの場合は93年にプロになってからずいぶんとレベルが上がりました。アマチュアとプロではモチベーションが違うし、練習する物理的な時間も違う。企業に勤めて仕事をしながらラグビーをするという構造のまま日本ラグビーのレベルアップをはかるのは、限界にきているんじゃないでしょうか。ただ、体格やメンタリティーを取り上げて、ラグビーは日本人に向いていないという言い方は間違っていると思います。ヨーロッパで生まれたスポーツだから、日本においては歴史が浅いし、それがハンディになっているということはあるでしょうけれど。

平尾そうですね。日本には集団の球技として野球が昔からあって、プロフェッショナルとしてもかなり長く存在しています。だから、僕たちは野球を見ることにも慣れているし、プレーすることにも慣れている。ただ、ラグビーやサッカーのゲームシステムは、野球のゲームシステムとものすごく違っていて、我々はまだ不慣れな気がしますね。

村上ラグビーやサッカーのゲームシステムには、なじみが薄いということですね。

平尾はい。野球はゲームメーカーとプレーヤーが別々で、状況判断はゲームメーカーである監督に委ね、プレーヤーは監督の指示に精度よく応えるという構造なんです。でも、ラグビーやサッカーは、ゲームメーカーとプレーヤーは同一で、ボールを持った瞬間にそのプレーヤーがゲームメーカーになってプレーを続けていく。ところが、先ほど村上さんがおっしゃったように歴史が浅いから、瞬時にどんどん状況が変わり、ターンオーバーされて急にディフェンスに回ったり、逆に一瞬のうちにアタックをするということに慣れていない。ただ、一瞬でも気を抜いたら点を取られるというような激しいゲームが国内でも頻繁に行われるようになれば、そういうゲームシステムに慣れてきてレベルは高くなると思います。

 

●プロフィール
村上龍(むらかみ りゅう):1952年2月19日、長崎県佐世保市生まれ。武蔵野美術大学在学中の76年に『限りなく透明に近いブルー』で群像新人文学賞と芥川賞を、87年には『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞を受賞。79年に自らメガホンをとり『限りなく〜』を映画化したのを皮切りに、『トパーズ』『KYOKO』などこれまで5作品の監督をつとめる。また、インターネットにも活動の場を広げ、坂本龍一氏とホームページを作成し小説を連載したり、メールマガジンを主宰するなど幅広く活躍。近著に『希望の国エクソダス』(文芸春秋社)、『“教育の崩壊”という嘘』(NHK出版)、『すべての男は消耗品である。Vol.6』(KKベストセラーズ)など。。

 

 
 
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