平 尾日本ではスポーツをある種の根性主義でやってきたところがあります。コーチングにおいても、スパルタ式のほうが結果を出すと考えられていて、多くのスポーツでそれが実践されてきた。また、「耐える」ということが人間形成に大いに役立つとされ、鍛錬とか訓練といった色合いが濃くなり過ぎていたように思います。しかし、本来スポーツには、楽しさや喜び、達成感、おもしろさなどといった、どちらかといえば遊びに近い部分があるはずなんです。それを排除してしまうのは、どうなのかと思いますね。
原 田確かにそうですね。
平 尾もちろん、スポーツをやっていくうえで耐えなければならないことが多少はあるし、時にはそれを厳しく指導されることもあるでしょう。でも、スポーツのおもしろさを感じて、そのスポーツに強い興味を抱いて、少しでも上手くなりたいんだという気持ちがあれば、「耐えろ」と言わなくても耐えていけるのが人間です。しかも、好きなことを楽しくやっていこうとする場には、上から統制しなくても自然と秩序が生まれる。だから、スポーツではそれを前提に教えていくことが大切だと思っているのですが、まだまだそういう視点を持つ指導者が少ないような気がします。自分たちが「スポーツは楽しいものだ」という教わり方をしていないからかもしれませんが、いきなり「忍耐」から入ってしまう。
原 田そうなんですね。それでは辛くて耐えられません。それに、辛い先に何があるのかということも見えない。一昔前までは、その先には一流企業の実業団チームに入って、引退後もずっと面倒をみてもらえるという考え方があった。しかし、今は入社したと思ったら、3年もたたずにクラブがなくなってしまうというようなこともあって、企業も一生を保障してくれるわけではない。そんなふうに先の見えない状況の中で、「耐えろ」と言ったところで、通用するはずもない。
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