長引く不況の中、企業スポーツは厳しい状況に立たされている。一企業がスポーツチームを所有するというこれまでの在り方は限界を迎え、転換期を迎えている日本のスポーツ界は、今後どう変わるべきなのだろうか。社会人野球とプロ野球を経験され、現在は野球に限らず幅広いジャンルのスポーツの現場で取材活動をしている青島氏と、日本のスポーツが置かれている現状や今後について語り合った。

青 島僕は、社会人野球で4年間プレーをして、27歳の年にヤクルトスワローズに入団しました。「ここまで野球をやってきたのだから、最後はプロの世界にチャレンジしたいな」というのがプロ入りのいちばんの理由です。ただそれだけではなく、もう一つの要因として、社会人野球をやるつもりで入社したけれど実際にやってみたらプロだったという思いがあったからでもあるんです。ラグビーの場合はシーズン中はともかく、基本的には仕事をして就業時間後を練習にあてるという形をある程度キープしてきましたよね。ところが、自分が在籍していた会社の場合、一応午前中は仕事で午後から練習ということになっていたんですが、午前中に会社に行っても仕事といえるほどのことはしませんでしんたね。事務的な作業をちょこっと手伝う程度です。それで時間が来たら、「じゃあ、練習に行きます」という具合です。同じ社会人野球でも、会社によってはまったく出勤しないで野球に専念するというところもあります。そういう状況は、野球だけでなくほかのスポーツでも多く見られますよね。僕は会社の仕事にも興味があったし、野球選手を引退した後のことも考えて仕事をしなければという気持ちもあったけれど、会社側は「勝つのがお前の仕事だ」と言う。そうなると、毎月の給料というのは、野球をやっていることの代償としてもらっていることになる。それを考えたとき、どうせ野球だけやっているなら、プロに行ったほうがいいじゃないかという気になれた。だから、プロへ転向したわけです。

平 尾なるほど。

青 島つまり、今までの社会人スポーツは、ほとんどがプロと同じ環境を選手に提供してきたわけです。それが原因で、現在のような厳しい状況を招いているという部分があると思いますね。

平 尾そう、確かにそういう部分はありますね。

青 島専用の体育館や練習場があって、就業時間中に練習や試合をして、道具もタダ、遠征費用もタダという状況だった。選手側からすれば、非常に贅沢な環境の中で、スポーツをやらせてもらっていた。しかし、そういう会社と選手の関係は、これからは難しい。そこでヒントになるのは、アメフトの「リクルートクラブシーガルズ」の在り方ではないでしょうか。アメフトは、サッカーやラグビーよりも多くの選手が必要で、ひとつの企業がチームを抱えるのは大変なことです。そこで、チームの全員がリクルートの社員という体制ではなく、銀行員もいれば自由業もいるというように、自分の職業はそれぞれが確保して、あとは練習のときだけにみんなが集まるという形態をとっている。そういう在り方を、一般には「クラブチーム」と呼ぶのでしょうが…。

平 尾そういう形態も、これからの企業スポーツの在り方として非常に参考になりますね。もちろん、今までのままの形態で企業スポーツを保っていけるところもある。そういうところはこれまで、全要員を社員として抱えてやってきたわけですが、それができなくなっているところは、やめてしまう場合がほとんどです。僕はそうではなく別の道も探してもらいたいんですよ。ある調査で、今は景気が悪いから運動部を休部や廃部にしている企業に、「景気がよくなったら、再び運動部の活動を復活させますか」とたずねると、ほとんどが「NO」なんです。ということは、先ほど話題になったように景気が悪いということが、いい口実になっているんです。もともと企業は、運動部の存在価値そのものが非常に低下していることを感じているんですよ。

青 島そうでしょうね。

 

●プロフィール
青島健太(あおしま けんた):1958年4月7日、新潟県生まれ。
春日部高校から慶応大学を経て東芝へ。強打の大型三塁手として活躍した後、ヤクルトスワローズに入団。とくに、'79年に東京六大学秋季リーグでは、1シーズンに6本塁打、22打点という新記録を樹立。'83年には社会人野球都市対抗優勝、オールジャパンにも2回選出される。'85年にヤクルトスワローズに入団すると、対阪神戦で初打席初ホームランの快挙。'89年に退団後、日本語教師としてオーストラリアに赴任し、帰国後はスポーツライター、キャスターとして活躍。

 

 
 
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