SCIX Special InterviewVol.1 [前編]


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株式会社今治.夢スポーツ代表取締役会長
サッカー元日本代表監督

岡田武史さん

ミスターラグビーこと故・平尾誠二氏と熱く語り合ったスポーツを通じた社会変革。指導者から経営者に、四国・今治でサッカークラブ運営に取り組むサッカー元日本代表監督・岡田武史氏が、新たなスポーツビジネスの在り方として提示する“今治モデル”はどこまでスポーツ界を、そして社会を変えるかー。

前編
後編 視察レポート

「岡田さん、僕はスポーツから日本の社会を変えたいんですわ」―。

一昨年、53歳の若さで急逝した故・平尾誠二氏が、サッカー元日本代表・岡田武史氏との最初の出会いで遺した言葉だ。

「最初の対談でそう言われたとき、俺より若いのにそんなこと考えているやつがいるのかと、ものすごい衝撃を受けたし、それが今治での活動のきっかけにもなっている…」

2000年に地元・神戸でスポーツNPOを立ち上げ、一足先に「スポーツのより幅広い社会的活動」に取り組んでいた平尾誠二氏は2016年10月、残念ながら帰らぬ人なったが、2014年に四国の地域リーグに所属する「FC今治」のオーナーに就任した岡田氏は、指導者から経営者へと活動の場を変えると、サッカーを通じた様々な「社会変革」に取り組んでいる。

例えば、茶道の思想である「守破離」を取り入れた選手育成プログラム「岡田メソッド」の開発と実践など、世界に通用する選手の育成事業もその一つだ。また「FC今治」がJFLに昇格すると、2017年9月にはJリーグ(J3)入りを視野に、約5,000人収容の「ありがとうサービス.夢スタジアム」を開場。それを機にスタジアムをテーマパーク化することで、そこから生まれるにぎわいを地域全体の活性化につなげる「フットボールパーク構想」を打ち出すなど、本拠地・今治が国内のサッカーファンはもとより、世界中から観光客が訪れるスポーツタウンへと発展させるべく、様々な取り組みを実践している。

「日本の文化や国民性をスポーツ界から変えるー」。

フットボール界の両雄が、ときには酒を飲みながら、ときには馬鹿話をしながら語り合ったという壮大な夢は、果たしてどこまで来ているのか。四国・今治に移住して4年目になる岡田氏に、クラブ経営の現状とともに話を伺った。


世界に通用する選手を育成するために、茶道の「守破離」の思想にヒントを得た「岡田メソッド」を開発。今治からジュニア世代の指導法を変えていく

──岡田さんとお会いするのは、2017年2月の故・平尾誠二さんの「感謝の集い」以来、1年半ぶりになりますね。
岡田武史氏(以下、岡田):

もうそんなになるの? 早いねえ…。

──この6月のサッカーW杯ロシア大会では、直前の4月にハリルホジッチ監督が解任されて、岡田さんの3度目の代表監督登板があるのではと、心配していました(笑)。

岡田:

ない、ない。話もなかったし打診もなかったよ(苦笑)。だってもう俺は、今年の1月にはS級ライセンス(Jリーグや日本代表の指導者を務めることができる免許)を更新しないという手続きを取っていたからね。それがハリルホジッチ監督の更迭問題と同じ時期に報道されて大騒ぎになった。俺としたら、もっとほかに載せる話題があるだろうと(苦笑)。

──S級ライセンス返上ということは、今後は「FC今治」のオーナーとしてチームの経営に専念するという意思表明と受け止めていいわけですね。

岡田:

だってもう今治に移住して4年目だからね。うちの社員(「株式会社今治.夢スポーツ」)も選手以外の監督やコーチを含めたバックオフィスだけでも50名を超える規模になってきた。彼らには家族があって、それら全員の生活がかかっている。彼らを路頭に迷わせるわけにはいかないという気構えにもなるよね。

──ところで、もうすでにいろいろなところでお話になっていると思いますが、岡田さんが「FC今治」のオーナーになられたいきさつについて聞かせていただけませんか?

岡田:

最初はこの今治で、地方創生をやろうとか、サッカーで社会を変えようとか、そこまで考えていたわけじゃないんだよ。2014年のブラジルW杯が終わったあとで、日本のサッカーの今後について、どうしたらいいか、どうなるべきか、といったことをいろんなサッカー仲間と議論している中で、ある有名なスペイン人コーチから「日本にはサッカーの型はないのか?」という問いかけがあってね。彼が言うには「スペインのサッカーというのは、よく自由奔放な華麗なサッカーだと言われているけど、実は個々のプレーには基本となる型がある。その型を16歳ぐらいまでに教え込むシステムが整っていて、それから先は選手個人の自由な判断でプレーさせる、というのがスペインのスタイルなんだ」という話をしてくれてね。

──自由奔放なサッカーの原点には、きちんとした基本の形があるということですね?

岡田:

そう。ただ「型」っていうと、日本人はどうしても「型にはめる」とか「型に閉じ込める」とかネガティブなイメージが先にきてしまうんだけど、そうじゃなくてね、こういう場面ではどういうプレーをするかというプレーモデルがあって、それを一定の規律として16歳ぐらいまでに共通認識させる。そのひとつの原型があるから、大人になってそこから飛び出したときに「おっ!」と驚くような、独創的なプレーができる。それが自由奔放と言われるスペインサッカーの強さや魅力になっていると。それを聞いたときに、「まてよ、日本の場合はどうなんだ?」と。日本の場合は、それこそ子どもの頃は自由にボールを蹴らせているけど、高校生ぐらいになったら、やれ戦術がどうのこうのと、理屈ばかりを教える。

──スペインとはまったく逆の指導スタイルですね?

岡田:

そう。それにそもそも日本では「ジュニアのうちから型にはめるような指導法は良くない!」と言われているから、「型」という発想そのものがないんだよ。そこへ、16歳ぐらいから戦術を教える。脳が発達している世代に「理屈」を教えるものだから、サッカーにとっては大切な「感覚的な反応」が薄れてしまって、頭で考えてプレーするようになる。だから日本のサッカー選手は、言われたことは忠実に実行するけど、自由な発想ができないと、海外から来たコーチに言われてしまう。そういう日本の指導法については、以前から疑問を持っていたから、スペイン人コーチの話を聞いて「これだ!」と(笑)。

──それが「岡田メソッド」につながるんですね?

岡田:

とにかく、今のままでは世界に通用する選手はなかなか育たない。よく日本の茶道や伝統芸能の世界では「守破離(しゅはり)ということが言われるんだけど、型から入って、型を破って、型を離れていくというプロセスが、日本のサッカーには必要なんじゃないかということを痛感したんで、それなら世界に通用する日本人独特の型を、「岡田メソッド」を作って、ジュニア時代から一貫指導して、16歳から自由にプレーさせるようなチームを作れれば、日本のサッカーも変わるだろうと思ってる。

5年後に「スポーツ」と「健康」をテーマにした15,000人収容の「複合型スマートスタジアム」を建設。サッカーの試合のない日でも地域の人々が集うにぎわいの場に!

──それを今治で始めることになったのは、どんな理由があったんですか?

岡田:

実は、当時のFC今治の運営会社の社長というのが、ぼくの大学時代の先輩でね。彼から、「自分が経営する別の会社を上場したいので、力を貸して欲しい」と言われて、フランスW杯(98年)のころから、その会社の顧問として関わるようになって、今治には年に2~3回、回数だけで言えば40回ぐらい来てたんだよ。その縁で、当時はまだアマチュアチームだったFC今治にも指導者を紹介したりしていたんだけど、その先輩に「実は日本のサッカーを強くするために、こういうことを考えているだけど…」という話をしたら「それは面白いから、ぜひやってくれよ!」ということになってね(笑)。実はJリーグの中でも2~3のチームから「ぜひ、うちに来てやってほしい」という話もあったんだけど、既存のチームを壊して再構築するには膨大なエネルギーがかかる。それなら、10年は掛かってもいいからゼロからできるチームの方がいいだろうという判断もあって、今治でやらせてもらうことになったんだけど、そうしたら「どうせやるんなら自分のチームとしてやったほうがいいだろうから、オーナーになったらどうか?」という話になって(笑)。それで先輩が持っていた運営会社の株式を51%取得して、自分が筆頭株主になったということでね。

──その当時の今治というのは、サッカーの盛んなところだったんですか?

岡田:

それが、全然そんなことはなくてね(苦笑)。最初、今治に通い始めた頃は、それこそ1泊か2泊で、仕事のためだけに来ていたんだけど、FC今治の経営に携わるということで移住を決めて、チームの拠点となる今治全体を改めて見渡してみたら……、市の中心街のドンドビという交差点はデパートが撤退したまま広い更地になっているし、地元のデパートの跡地も駐車場になっている。ドンドビ交差点から港に向かって商店街があるんだけど、閑散として誰も歩いていない(苦笑)。「しまなみ海道」という素晴らしい橋ができて島へのフェリーが出なくなったから、港を利用する人が激減してしまったんだね。それを目の当たりにして、このままではだめだと。たとえFC今治が成功したとしても、土台となるホームタウンがこれ以上寂れてしまったら、チームの今後の存続も危うくなる。そうじゃなくて、今治の街も一緒に元気になる方法はないかということで、いろいろな取り組みを考えたり、やったりしているところなんだよ。

──具体的にどんな取り組みや構想を考えているんですか?

岡田:

まず「今治モデル」ということで、今治の小中学校や高校のサッカー部を全部合わせて一つのピラミッドを作って、全体で強くなることを考えてるんだ。その頂点に「FC今治」を置いて、そこが面白いサッカーをして強くなったら、全国から「うちに入りたい!」という選手や、「岡田メソッドを勉強したい!」という指導者がやって来るだろうと。そういう人たちには今治の一般の家庭にホームステイしてもらって、おじいちゃん、おばあちゃんの家庭もあるだろうけど、事前に勉強してもらったアスリート向けの料理を出してもらって楽しんでもらう。実際には国内だけじゃなく、アジアからもたくさん人は来るだろうから、英会話の勉強なんかもしてもらってね。買い物は子供たちがタブレットでできるようにしておけば、商店なんかも活気づく。そうやって気が付いたら、今治が妙にコスモポリタンで活気のある街になっている。そういう構想を描いて今、動いているところなんだけどね。

──まさにサッカーで街全体に活気を生み出すというわけですね。

岡田:

そう。でもサッカーだけの交流人口だけでは、たかが知れているだろうということで、15,000人収容できるスタジアムを中心にホテルやアスリートのトレーニング施設や大学と連携した医療施設を併設した「複合型スマートスタジアム」を建設する構想も進めている。一つは近い将来、FC今治がJ2やJ1で戦うようになったら、Jリーグが要求する条件に合致したスタジアムが必要になってくる。その時に、スタジアムが要件を満たしてないから昇格できないというんじゃ困るから、今から手を打っておこうということと、もう一つはスタジアムというのはどこでも、試合のない日は閑散としているのが当たり前になっているんだけど、その常識に挑戦したいという気持ちもあって、今ある「夢スタ」の隣接した土地に、3年後をめどに建設しようと思っている新しいスタジアムは、「スポーツ」と「健康」をテーマにした複合施設にして、交流人口を増やすことを考えている。

──サッカーの試合のない日も人が集まる場所にするわけですか?

岡田:

そういうこと! 普通、どこのスタジアムも公園の中に建設するから、都市公園法という法律の縛りがあって、スポーツ施設以外のものは入れられないんだけど、幸い今、「夢スタ」のあるこの土地は、今治新都市開発の一環でスポーツパークとして整備されたところなので、公園法には引っかからない。まだ我々が使えるか決まってはいないけど勝手に妄想している「複合型スマートスタジアム構想」では、例えば、スタジアム内には大学病院の診療所があって、今は個人の健康状態をウエラブル端末でチェックするのは当たり前の時代になっているので、朝食や昼食にどんなものを食べたか申告すると、「夜はこういうメニューにして下さい」とか「食後はこういう運動をして下さい」というアドバイスを毎日、端末を通じて受けられるとか、そういった日々の健康管理とは別に、年に数回は温泉やしまなみ海道のサイクリング、サッカー観戦などをセットにした健康診断が、スタジアム内の診療施設で受けられる。また別のフロアには、国内トップクラスのトレーニング施設があって、国内はもとより世界中からトップアスリートがトレーニングのために集まってくる。さらに、サッカーの試合のない日は、FC今治のスポンサーにもなってもらっている「LDH(株式会社LDH JAPAN:EXILEの所属会社)」と共同でEXILEのダンス教室を開校するとか…、そうやってサッカーの試合がない時でも、絶えず人が出入りする場所にスタジアムを作り込んで交流人口を増やしていく。そういう夢や想いを、あちこちで語っていたら、実際に人とお金が集まってきて「複合型スマートスタジアム構想」という形になって動き始めた(笑)。

岡田武史(おかだ・たけし)氏

FC今治/株式会社今治.夢スポーツ代表取締役会長 1956年8月25日、大阪府出身。大阪天王寺高校から早稲田大学、名門・古川電工に進み、クレバーなプレースタイルのDFとして活躍。指導者としてはジェフ市原コーチを経て、日本代表コーチに就任。'97W杯フランス大会目前で代表監督に抜擢され、日本を初のW杯に導く。その後Jリーグでは、J2のコンサドーレ札幌を率い、2年目に優勝しJ1昇格。’03シーズンからはJ1横浜F・マリノスを率い、2年連続優勝を果たす。’08年から2度目の代表監督に就任し、’10年W杯南アフリカ大会ではベスト16という快挙を達成。’12年には海を渡り、中国スーパーリーグ・杭州緑城の監督に。’14から経営者の道へ進み現職に。勝負に挑むリーダーとしては覚悟も勝負勘も備えた名将。理論派でありながら、闘志も併せ持つ情熱家。

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取材・文/中野里美 構成/美齊津二郎(SCIX)