玉木話はちょっと変わりますが、僕が子どものころに王や長島といった実在の選手が登場する「スポーツマン金太郎」という野球マンガがあったんです。そのなかに、今でもよく覚えているシーンがあって……、王選手が打席で1塁ランナーにサインを出す場面があったんです。それを見て子ども心に「プロは選手同士でサインを出している、すごいなぁ」って思ったわけです。それから、テレビで野球を見るときもよく注意していると、選手同士でサインを出していることをうかがわせるような解説もあった。
平尾昔は、選手が判断してサイン出したりもしていたんですよね。それが、いつの間にかなくなってしまった。
玉木それについては、日本のプロ野球、つまり職業野球というのは、もともとはぐれ者の集団という歴史があるからなんです。僕がが編集に携わった作家の虫明亜呂無さんの本には、「僕は試合を見ながら、子ども心に、職業野球が好きなようでは、自分はいつか世の中から遠ざけられ、拒まれてゆくだろう、と思った」と書いてある(笑)。職業野球というのは、そもそもそういう世界で、世の中からドロップアウトした選手たちが、個性を生かしてやっていた。そこでは今もマンガの話で触れたように、選手同士でサインを交換するといったように、ごく自然に正しいスポーツインテリジェンスの使い方がされていた。ところが、職業野球がいつの間にかプロ野球になり、人気も出てきて主流になった途端に、それがなくなってしまった。
平尾主流がない時代は、混沌としているから個が活躍できる場でもあったわけですね。
玉木そう。明治時代、西洋のスポーツが入ってきたころは、日本のスポーツも混沌としていて、実際、いろいろな個性があったと思う。たとえば昔、中等学校野球大会の資料を調べていたら、決勝戦で最後にホームスチールをして負けたというチームがあった。今なら9回の裏、1点差でホームスチールなんかするなよって話になるけど、その選手はいけると思ったんだろうね。でも、その判断が正しかったかどうかは別として、僕はそのことをものすごく称えたい。今はそういう選択肢がまったくないでしょう。
平尾ないですね。本来、どんな競技でもプレーの選択肢というのは山ほどあるはずなんですが。
玉木たとえば、野球で3塁にランナーがいるという状況を考えた場合、次のプレーを考えたらホームスチールもあればスクイズもあるし、他にもいろいろな選択肢がある。その中から「これだ」というものを判断して実行していくだろうと、我々は考えるけれども実際はそうではない。今の選手は、選択肢を持たずにベンチのサインを受けてからでなければ動かない。つまり、駒になって動いているだけなんですよ。しかも、その考え方が、サッカーやラグビーにも入ってきている。
平尾それが、チームワークだと思っているんです。なぜなら、日本の場合、すべての集団競技において、監督の指示どおりにチーム全員が動くことが基本だと考えられているからです。
玉木いい駒であることが、いい選手であるというね。
平尾もちろん、それがいけないということではないんです。要は、そうした考え方は野球にしか適していないということなんですよ。ゴール型の競技にはあまり適応しない。そのことに早く気づいて、独自のチームワーク論を作っていくことが、今、求められていることなんです。
玉木そう。でも本当は、野球にさえ適しているのかどうかわからないんだけどね(笑)。
<<つづく>>
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