平尾今の水泳の話は、玉木さんの一つの仮説かもしれませんが、水泳の持つ競技性というものが、日本人の気質や考え方とうまく合致したという側面もあったんでしょうね。ただ、それが即ほかのスポーツにも当てはまるかというと、それはちょっと違うような気がします。たとえば、ラグビーやサッカーは「ひとつの流れの中でプレーをしていく」という点で、非常によく似ていると思うんですが、野球の場合はさっきも話が出たように監督の意志に従ってプレーしたり、ゲーム自体もぶつ切りで進んで行く。また、バッティングやキャッチングについても「フォーム」という「型」を重要視しているの点も、他の競技とはやや質の違う部分があったり、それを軸にして技術力が上がっていくという点も、球技の中でも独特の質があるような気がします。だから、練習方法一つをとっても競技によってどんなやり方が適しているかということを、よく見極めないといけないのですが、なぜか日本ではほとんどの球技が野球型の考え方に支配されている。
玉木そう、まさにその通りやね。
平尾たしか、一高(第一高等学校)でしたっけ? 猛練習して外国人のチームに勝ったというのは。
玉木そうそう、明治時代に横浜在住の外国人チームに勝ったんだね。
平尾その結果が新聞に大きく載って、話題になったんですね。
玉木そう。それがきっかけで野球の人気が高まった。以来、野球的な発想が日本中に広がって、サッカー的、ラグビー的な「流れの中での判断する」という発想がどこかへ行ってしまった。
平尾そう、なくなってしまったんです。すべて野球の考えで、トレーニングもゲームもするようになってしまった。練習でも毎日も同じことを繰り返し練習すれば、野球でいうところの「型」は比較的早く習得できるんです。でも、どんなに早く型を習得しても、流れの中で判断が要求されるスポーツでは、その先のプレーを常に考えていかなければならないから、型だけを求めても実際のゲームでは通用しない。
玉木そういう意味で野球は、日本型の「型の文化」という言い方もできると思うんだけど、もう一方で日本に古くからある「間の文化」というものと、うまくマッチングしたという面もあると思う。
平尾そうですね。それと、極論すれば野球はピッチャーとバッターの1対1の戦いですね。
玉木そう、だから集団戦が下手な日本人に、野球というスポーツは合っていた(笑)。その結果、野球型の考え方が増幅していって、ほかのスポーツにまで影響するようになってしまった。
平尾実際、かなり影響しているように思いますね。でも、「チームプレー」という点で見ると、実はいろいろな種類があってひとくくりにはできない。その中で野球型のチームプレーというは1対1の戦いの連続で、いわば柔道の団体戦のようなものなんですよ。柔道の団体戦というのは、一つチームから5人の選手が出て順番に戦って、その結果、どちらか3人以上が勝ったチームが勝ち、つまり先に3勝した方が勝ちというものですね。それは、ラグビーやサッカー、バスケットなどがいうところの「一致団結したチームプレー」とは、ぜんぜん質が違う。
玉木その通りなのよ。だから、巨人の監督だった川上哲治さんは、自分の監督時代に「チームプレー、チームプレー」ということをやかましいほど口にしていた。なぜかというと、言わないと選手はチームプレーがどんなものかわからかったから(笑)。
平尾選手自身はチームプレーをしているという自覚がないわけですね(笑)。
玉木そう、自覚の生まれ難いスポーツなのよ、野球は(笑)。だって、たとえ10対3で試合に負けても、その3点を自分のホームランで取ったとしたら、やっぱり選手はうれしいからね。で、もっと面白いのは、野球のルールブックを見ると、その第3条に「野球は相手チームよりも多くの得点をして勝つことを目的とする」と書いてある。「勝つことを目的とする」とルールブックに書いてあるスポーツなんて、ほかにはない。でも、野球の場合は書いてある。それだけ、やっているうちに目的が何だかわからなくなるスポーツというわけです(笑)。
平尾ハハハ、なるほどね(笑)。だから、野球は「チームプレーだぞ」ということを、監督やコーチも口を酸っぱくして言うわけですね。
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