SCIXコーチ対談 『SCIXラグビークラブが育んでいるもの』
他者への配慮ができる人間になって欲しい

hirao平尾:僕が一つ思っているのは、ここに通ってきている選手たちは全員が全員、トップアスリートを目指しているわけではないですよね。あくまでもラグビーを楽しむことが目的なわけですから、まずはラグビープレーヤーとして最低限必要な、チームメートへの配慮ができる人間になって欲しいということです。先ほど、ラグビー未経験の子どももたくさん入ってくるという話をさせてもらいましたが、そんな新入部員に向かって「なんか困ったことはないか?」と自分のほうから声をかけとか、そういった配慮ができるような選手になって欲しいと思っています。

司会:他者への配慮こそ、チームプレーの基本というわけですね。

平尾:そうですね。武藤さんも言われたように、ラグビーというのはチームスポーツですから、自分ひとりだけでは何もできません。どんなに走力のあるウイングでも、フォワードがボールを獲得してくれなかったら、ボールを持って走るチャンスは生まれません。そのボールも、自分のところへ回ってきたのは、何人もの味方選手がパスを回してつないでくれた結果なわけですから、いくら自分がトライを決めたといっても、自分にパスを放ってくれたり、サポートをしてくれた味方選手がいることを、忘れてはいけないんですね。それがチームプレーという言葉の意味だと思います。自分を支えてくれる他者への思いやりや配慮は、ラグビープレーヤーとしてだけでなく、人としても必要とされるものですよね。こうしたSCIXが育もうとしているものは、たとえ高校でラグビーを辞めたとしても、その先の人生の中では必ず生きてくると思うので、競技力だけでなくいろいろなものを学んで欲しいと思います。

人間的な成長は、プレーを見ていてもすぐに分かります

武藤:中高生というのはまだ人格も形成されていない、一番難しい時期だと思います。
彼らも彼らなりに学校でストレスを溜めていることも多く、普段は何でもないちょっとした言葉に反応して、いじけてしまったり、練習に出てこなくなったりということも、時にはあるんですが、そういった思春期に培ったものというのは、逆に一生忘れずに身に付くと思いますので、学校で学べるものとは別に、SCIXでしか学べないものをたくさん吸収して成長してくれればと思っています。

平尾:例えば今言ったチームプレーもそうですし、キャプテンシーなどもありますよね。

muto武藤:SCIXの場合キャプテンは、高校生の部を巣立っていく前年度の先輩たちが決めて指名するんですが、学校の部活のようにチームを監督する先生がいて、その指示どおり当たり前のように行動するチームをまとめていけばいいのと違って、クラブチームのキャプテンは学校もばらばらならラグビーの技術も、チームに対する思いもそれぞれ異なる選手たちをまとめていかなければならないから大変なんです。先輩たちもそれが分かっているので、ある程度プレーが上手くて、チームを引っ張っていける選手や、そういうことには慣れていないけれども、キャプテンにさせたらもっとプレーも含めて伸びてくれるだろうという選手を指名するんです。僕らが見ていてもそうした選手は、キャプテンの仕事が大変な分、人間的にも大きく成長しますね。それまで自分のことしか考えられなかった選手が、他の選手のことも見てやれるようになったり、プレーも含めて我慢強くなったりしますしね。

平尾:キャプテンに限らず、SCIXはクラブチームなんだから、練習でも何でも自分たちで考えて判断して、進めていかなければいけないんだという自覚が身に付いてくると、僕らが見ていてもすぐに分かりますね。まずプレーが良くなってきますから。それと言動にも、このチームは自分たちでまとめていかなければならないんだという自覚がにじみ出て来ますから、雰囲気もがらっと変ります。

武藤:たぶんそれが、SCIXでなければ学べないものだろうと思います。

《つづく》

武藤武藤規夫(むとう・のりお)
1964年10月19日、宮崎県出身。延岡工業高校1年生でラグビーを始め、同志社大学を経て1988年神戸製鋼入社。89年のV2から、「ボールのあるところに武藤あり」と言われるほどに無尽蔵なスタミナを備えたFLとして活躍。94年のV7まで不動のレギュラーとして日本一に貢献する。2000年7月のSCIX設立時から事務局スタッフとして参加。SCIXラグビークラブのコーチを務める。
武藤平尾剛(ひらお・つよし)
1975年5月3日、大阪府出身。同志社香里中学校1年生でラグビーを始め、同志社香里高校、同志社大学、三菱自動車工業京都を経て99年神戸製鋼入社。鋭角なステップによる突破力を備えたWTB・FBとして活躍。2000年の社会人大会・日本選手権優勝、03年のトップリーグ優勝に貢献する。日本代表として99年の第4回W杯に出場、キャップ数は11。昨シーズンで現役を引退、SCIX事務局の運営に携わりながらラグビークラブのコーチを務める。
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