和 田それから、景気が悪いときって、人間やっぱり心が歪みやすいと思うんです。たとえば景気が悪いときは自分が頑張ってもなかなか自分の置かれている状況はよくならない。「どうせダメだから」という気になって、他人が落ち目になったりスキャンダルを起こすことを望むような「エンビー型の嫉妬」が強くなりやすいんですね。

平 尾「エンビー型の嫉妬」という言葉が出てきたので、「嫉妬」についてうかがいたいのですが…。先生の著書『嫉妬学』によると、嫉妬には「ジェラシー型嫉妬」と「エンビー型嫉妬」の2種類があって、日本の社会は、「エンビー型嫉妬」のほうが容認されているとありました。

和 田
そうですね。簡単に言うと、相手に負けている時「ジェラシー型嫉妬」というのは自分の力を伸ばして相手を見返そうとするポジティブな嫉妬で、「エンビー型嫉妬」は相手の足を引っ張って相対的に自分の立場を上にしようとするネガティブな嫉妬です。日本の場合、世間やマスコミはいわゆる判官びいきということもあって、“すごくできる人間”の足を引っ張るような嫉妬に対して寛大というか、当たり前になってしまっているんですね。

平 尾おっしゃるとおり、そういうところはありますね。とくに、マスコミが容認しているところに日本の特殊性を感じます。たとえば、野球やサッカーの選手が海外に出て行くときにも、「エンビー型嫉妬」を思わせるようなマスコミの報道がありますね。

和 田そうなんですね。

平 尾でも、それは発展的ではありません。身近なことで思い起こしてみると、僕らがチーム作りをする上で、エンビー型の嫉妬がはびこるようでは目標値を高いところに定めても、チーム内の足の引っ張り合いでチーム力は上がってこない。これは、非常にマイナスです。ですから、その嫉妬を外に向ける、つまり「ジェラシー型嫉妬」にしていかないと。日本の場合、スポーツのチームや企業といった組織は「エンビー型嫉妬」の温床になりやすいという問題を抱えているように思います。

和 田実は僕自身、足の引っ張り合いは賢くないという体験をしているんです。僕は灘高校の出身なんですが、僕が通っていたころの灘高は、東京の開成高校や筑駒(筑波大学付属駒場)高校と東大の合格者数を競い合うような受験校だったんです。高校一年生のころは学内で足の引っ張り合いもあり「エンビー型嫉妬」があったのですが、受験体制に入ると開成や筑駒に負けたくないというチームとしての気持が出てきて、「ジェラシー型嫉妬」に変わっていったんですね。だから、「どこの予備校に行けば高いレベルの物理の講習が受けられる」とか、「あそこの塾なら古文がわかるようになる」といった情報が共有されるようになったし、できる者ができない者を助けるようになってきた。「オレ、浪人でいいや」と言い出す人間がいると、「ここまでやってきたんだから、最後までがんばろうや」という感じで励ます。受験勉強というと足の引っ張り合いが起こりやすいと思われがちだけど、環境によってはうまく「ジェラシー型嫉妬」を引き出して伸ばしていくことができるんですよ。

平 尾なるほど、それはおもしろいお話ですね。

<<つづく>>

 

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