平尾ところで、僕は玉木さんの本が好きでよく読むんですが、最近では『スポーツとは何か』が大変おもしろかった。先ほど話題に上った「日本の水泳はなぜ強くなったのか」などといったような、思いもよらない新しい発見がたくさんありました。
玉木それは、うれしいな。あの本を書くに当ってつくづく思ったのは、スポーツとは何かを知るためには、自分で考えなければいけないということ。スポーツに関しては、いろいろな文献があるから、その資料を基に書くこともできるし、そういうものも大切だと思うけれども、「日本の水泳はなぜ強くなったんだろう」とか、「スポーツと芸術の関係はどういうものなのか」といったものについて、答となる資料がない。だから、ものすごく考えた。エネルギーが相当必要だったけれど、それによって新しいものを作ることができたし、やってみるとなかなかおもしろい作業だった。
平尾なるほど。その「自分で考える」ということは、仮説を立てるということですか?
玉木そうです。本を書くときだけでなく、スポーツライターという立場で仕事をするにときには、僕はいつもある仮説を立て、それに乗っ取って仕事をしていく。
平尾それは、たとえばどんな仮説なんですか?
玉木まず、「スポーツは素晴らしい」という仮説。でも、これはあくまでも仮説だから、否定も考えてみる。「実はスポーツはそれほど素晴らしくはないんじゃないか」とか、「健康に悪かもしれない」とか「みんなの心を悪くするかもしれない」などとね。
平尾ハハハハ。それは、すごい否定の仕方ですね。
玉木とにかく、「スポーツは素晴らしい」という仮説が正しいかどうかを見極めるために、その仮説に対する否定形を考える。そこに至るまで、あれこれ考えてみたところ、今のところその仮説の立て方は、どうやら正しいと(笑)。だから、現在はその仮説に乗っ取って仕事をしている。つまり、スポーツは素晴らしいんだから、もっと素晴らしくしようと思って原稿を書いているわけなんです。
平尾なるほど。玉木さんの場合、根底には「スポーツをもっと素晴らしいものにしよう」という明確な目的があるわけなんですね。
玉木そう。でも、今の日本のスポーツライターは、明確な目的がない人がほとんどですよ。多くの場合、自分の目の前にあるスポーツを受け入れようとしているけど、受け入れて何をすべきかがわかってないから、スポーツを勝ち負けだけで判断してしまっている。だから、自分に近い側、たとえば国際試合ならば日本、学生スポーツなら自分の母校などに重きを置いて、負けたらいけない、勝ったらいいという判断基準で考えている。でもスポーツジャーナリズムは、そういうあり方ではないはずなんです。
平尾そうですね。スポーツ新聞なども、勝ち負けばかりにこだわってしまってますね。
玉木そう。勝敗だけに固執して、たとえばラグビー界全体のこと、プロ野球界全体のことを見ようとしていない。プロ野球を例にとるなら、人気球団の巨人が負けたら悪いという論調になる。巨人が勝てば確かに新聞は売れるけど、巨人が負けてプロ野球が改革された方がもっと新聞が売れるようになるだろうし、プロ野球が今よりもっと素晴らしいものになるはずなのに、それがわかっていない。
平尾そうかもしれないですね。
玉木平尾さんの言葉を拝借するなら、現在のスポーツジャーナリズムは「目の前の10円ばかりを拾いおる」という状況になってしまっている(笑)。日本のスポーツ界は目先のことばかりで、将来のことはまるで考えていないように感じます。
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