平尾以前、玉木さんは「日本人に体力は必要か」というテーマを取り上げた番組に出演したことがありましたね。そのとき、出演前には「これ以上、日本人の体力が落ちてしまったら国家的な危機や」というようなことをおっしゃっていましたが、番組が終った後は「いやぁ、体力はあんまり必要ないな」と一変していた。覚えてますか(笑)。
玉木あった、あった。そんなことがあったね(笑)。
平尾確かに、今の世の中はどんどん便利になって、体を動かさなくても生活ができるようになってきた。だから、スポーツの価値も体力増進や健康促進だけなら、これからはそれほど重要ではなくなる。価値そのものもどんどん低下して、衰退の一途をたどることになると思います。でも、僕はスポーツにはもっと別の価値があると思っています。その一つが、スポーツによって「創造性」や「判断力」、「自主性」といったことが身につくということ。つまり、スポーツによってそうしたスポーツインテリジェンスを養うことができるという価値観です。そこに目を向けなければいけない時期に、今、我々は来ているのではないかと思っているんです。
玉木なるほど。
平尾ところが、現状はどうかと言えば、学校体育や部活動がスポーツ育成の場になっている日本では、スポーツインテリジェンスを養うという方向に目が向いていない。たとえば、高校野球一つをとっても、野球部には100人の部員がいても、実際に試合に出られる選手は10人ぐらいで、ベンチ入りできる選手を入れてもだってせいぜい20人足らず。残りは全員、補欠なんです。
玉木基本的に、スポーツインテリジェンスというのはゲームをしないと身に付かないからね。
平尾そうなんです。ゲームの中で相手の動きを読んだり、次に求められるプレーを瞬時に判断してゲームを進めたり、失敗したならどうすべきかということを考えたり、そうしたことを経験する中で、インテリジェンスが養われていく。ところが、現状はゲームに出られない補欠の人数の方がが圧倒的に多いんです。
玉木補欠という制度が当たり前の日本では、ほとんどの選手がスポーツインテリジェンスを養う機会に恵まれないということになるわけだ。
平尾しかも、やっかいなのは「補欠は素晴らしいものだ」という理論まで構築されている。
玉木補欠がチームを支えているんだ、とかね(笑)。
平尾もちろん、それが悪いというわけではないんです。補欠の選手たちの中に、自然発生的に「自分たちがチームを支えているんだ」という気持ちが湧いてくれば、それはそれで素晴らしいことです。ただ、現状を見るとそうした補欠の理論まで強制されている。それがよくないということなんです。
玉木僕もその通りだと思うね。
平尾ですから、これから我々が力を注がなければいけないのは、選手全員がゲームを経験をできるような環境を作っていくということ。ゲームというのは、何も一軍でなくてもいいんですよ。自分の体力や体格、運動能力にあったところでゲームができればいい。そうした環境を整備していかなければ。
玉木スポーツインテリジェンスを養うために、まずそれが大切だね。
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