平 尾岡田さんが最初にコーチをされたのは古河電工時代ですね。現役を辞められてコーチに就任されていますね。「コーチを」と思われたのはどういうことがきっかけだったんですか?
岡 田ちょうど33〜34歳のときだったと思うんだけど、それまでのコーチの人が監督になるというんで「お前、コーチとして彼を手伝ってやってくれないか」と会社に言われたんだね。
平 尾年齢的にも現役を続けるのは厳しい時期ですね。
岡 田ただ、そのときはまだ現役を辞めるつもりはなかったんだよ。自分では「まだできる」と思っていたから。でも、会社は「日本代表候補に入っている順天大のディフェンスを取りたい」と。彼が「岡田さんがいたらゲームに出られないと言っている。だから、コーチでどうだ」と。それを聞いて「冗談じゃない!」と思ってね。「そんなことを最初から言っているような選手は絶対だめだ」と言って意地でも辞めるもんかとね(苦笑)。
平 尾いかにも岡田さんらしい話ですね(笑)。
岡 田そうだろう(笑)。でも、年が明けて、「バイエルン・ミュンヘン」というドイツのチームがきたんだよ。で、日本リーグ選抜が試合することになって、僕がキャプテンやることになった。結果は1対1の同点だったんだけど、ゲームが終って記者会見に出たら「いや、いい試合でしたね」と記者の方に言われてね。でも、やっている本人にしてみれば、何が「いい試合」だったのか少しも分からない。上手い下手とかではなくて、次元の差を感じたんだね。
平 尾なるほど。
岡 田それまでは「自分はまだ上手くなれる。いつか、海外の一流チームにも追いつける」という気持ちがあったんだけど、その試合ら関しては「オレはどれだけやってもこいつらに追いつけないな…」と思った。(カール=ハインツ)ルンメニゲだとか(クラウス)アウゲンターラーだとか、当時の一流選手がまだいたころで、「どれだけやっても、こいつらには追いつけないな」と。そう思った瞬間に、スッと何かが切れちゃったんだね。それで「じゃあもういいや、コーチをやろう」と。
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