平 尾15年ほど前になりますが、ある方に「ラグビーはチームプレーか、個人プレーか」と聞かれたことがあるんです。普通ならばチームプレーと答えるでしょうが、僕はどっちかなと迷ってしまったんですね。結論を言えば当然、ラグビーはチームプレーです。でも、よく考えると個人プレーに近いような気がする。個人プレーの連続がチームプレーになるのだから、個人プレーがなければチームプレーなんてあり得ないわけです。つまり、ラグビーという団体スポーツを行う場合でも、それぞれの個性や特性をどういう形でチームに活かしていくのかということを、もっと考えなければいけないし、それを考え実践していくほうが結果的に効率よく人材を活用できるんだと思います。
今 田おっしゃるとおりですね。今、「個人プレーなのか、チームプレーなのか」という質問にちゅうちょしたと言われたけれど、そもそも個人プレーとチームプレーの二つに分けて考えるということがおかしいと思いますね。ラグビーなどの団体スポーツに限らずいろいろな組織においても、個人プレーがそのままチームプレーにつながっていくような仕組みを作るべきなんです。
平 尾僕も、そう思います。
今 田そこには、「活私開公(かっしかいこう)」、つまり「私を活かして公を開く」ということが必要になってくる。
平 尾と、おっしゃいますと?
今 田これまでは、公・組織・チームなどにまつわる“公事”と、個人的な“私事”とを二つに分けて考えるのが普通でした。どちらが大切かと問われると、一昔前までは、エゴイスティックに思われないように、ある程度“私事”は抑えて、“公事”を優先させてきた。“私事”を優先させることは、「公共心のない人間で、それは悪いことだ」と思われていましたから。
平 尾そうですね。「仕事のため」「仕事だから」といって、プライベートを犠牲にしてきた。
今 田はい。ところが、最近では少し様相が変わってきました。公を活かすために私を犠牲にしなければならないなら、“公事”はやらないという状況も出てくるようになってきたんです。そんなふうに、“私”と“公”とが分かれてしまって、隙間が埋まらない。何とか両者をつなぐことを考えなければいけないというので、“私”を活かしながら“公”のパワーアップにつながるという理論、考え方が必要なんです。
平 尾それが、先生のおっしゃる「活私開公」ですね。
今 田はい。たとえば、ボランティアとかNPOというのは、もともとそういう考え方が根底にあるんです。人を助けたり支援したりすることが、自己実現につながっている。つまり、自己実現のためにボランティアやNPOに参加しているから続くのであって、「人を助けてあげる」という気持ちだけだったら長期間、続けていくのは無理ですよ。
平 尾確かにそうですね。何かしら自分のためにならなければ、続かない。
今 田つまり、自己実現が図れるという意味で私を活かしているけれど、それが社会のため他者のためにもなっているわけです。これからは、そういう仕組みを作っていかなければならないと思いますね。
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