第5回『SCIXスポーツ・インテリジェンス講座』リポート 7月24日号
残念ながら世界最終予選で敗れ、北京五輪出場は成らなかった日本女子バスケットボール。
世界では「高さ」という壁に苦しみながら、96年のアトランタ五輪では7位入賞。その原動力となった日本を代表する司令塔の原田結花さんには、その戦いぶりはどう映ったのか。また22歳の若さで所属チームも含めてキャプテンに就任。エースとして、リーダーとして、
チームを率いることの難しさとは、どのようなものだったのか。2度のひざ前十字靭帯断裂の大怪我とも闘いながら、チームスポーツを通して学んだチームワーク、仲間を思いやる気持ちの大切さを語っていただきました。
原田裕花氏支えあう仲間の大切さ
本当のチームワークとは何か
講師:原田裕花氏 
女子バスケットボール元全日本代表、
ジャパンエナジーキャプテン、全日本代表チームキャプテン

■日本の持ち味は外からの3ポイントシュートと平面的な動きの速さ。その3ポイントが決まらないと、最終的には高さでやられてしまうという厳しい現実を感じました
「北京五輪出場を賭けて世界最終予選に臨んだ女子バスケットボール日本代表は、残り1枠を4チームで争うトーナメント方式の決定予備戦でキューバに敗れ、2大会連続での五輪出場を逃しました。私はOG(元代表)としての気持ちの部分では、平均176cmの日本が、平均180cm以上のチームを相手に、1点差まで詰め寄るゲームをしてくれたことは、「よく頑張ったな」という印象を持ちましたが、最終的に切符に結びつかなかった現実は受け止めなければいけないとも思いました。世界を相手に高さで通用しない日本の持ち味は、外からの3ポイントシュートと平面的な動きの速さ。その3ポイントが決まりませんでしたし、緻密でなければいけないコンビネーションでもミスが目立ちました。世界を相手にする場合、そこがだめだとどんなに頑張って競っても、最終的には高さでやられてしまうという厳しい現実があったなと感じました」
■ アトランタ五輪は日本の女子バスケットにとって20年ぶりの出場。その結果が今の子供たちの目標設定の高さに表れている
「私たちがアトランタに出たのは、日本の女子バスケットボールにとって20年ぶりの出場でした。当事のアジアは中国と韓国が強く、まだ世界という意識は低かったのですが、私たちの代でその差が縮まり中国に勝ったりもするようになってきた。その結果、アジアのレベルも上がっているということで、五輪の出場枠が三つに増えた。そうした背景の中でのアトランタ五輪出場、7位入賞だったのですが、女子バスケットボールがアトランタ、アテネと出場したことで、全国をバスケットクリニックで回りながら子供たちに「目標は?」と聞いても「オリンピック選手」「オリンピック出場」と誰もが普通に言えるようになってきた。目標設定が私たちが子供のころよりずっと高くなっている。自分たちのしてきたことが、こういう形でつながっているんだと、とても嬉しい気持ちになる瞬間ですね」
■ キャプテンは闘将と呼ばれるようなリーダーが理想と思っていた。自分もそうならなければいけないと思い詰めた結果、体調もプレーもどんどんだめになってしまった
「私は小学校から代表までキャプテンを経験してきましたが、もともと人前に出ると体が震えてしゃべれなくなるタイプだったので、実業団に入って4年目でキャプテンを任されたときには、いつも監督から「しゃべれないキャプテンだ!」と怒られていました。代表でもキャプテンをやらなければいけない立場になったのですが、当事は闘将と呼ばれるような、姉後肌的なリーダーが理想のキャプテンだと思っていましたから、自分もそうならなければいけない、そうでなければキャプテンは務まらないんだと思っていました。実際、自分をそう仕向けて頑張ってもみたのですが、もともと無理してやっていたこともあって、代表でも自分のチームでも成績や結果がついてこない状況になったら「チームのトップに立つ自分がこんなだから、結果も出ないんだ」とさらに自分を追い詰めるようになってしまった。その結果、精神的なバランスを崩して、体調もプレーもどんどんだめになって、あまりのつらさにキャプテンだけでなく、引退も考えるようになりました」
■ もう理想のキャプテンなんてできない!要はチームが一つにまとまればいいんだ。自分らしいカラーを出してやって行こう
「そうした苦しい時期を経て、落ち込むところまで落ち込んだら、「もう、いいや! もう(理想のキャプテンは)できない!」と開き直ることができた。そして「要はチームが一つにまとまればいいんだ」ということに気づいた。そのためにキャプテンとして、自分らしいカラーを出せたらいいんじゃないかと思えるようになったんです。じゃあ、しゃべるのが苦手な自分が、それでも信頼されるようになるにはどうしたらいいか。当時は、選手全員が寮生活を送っていましたから、日常の生活の取り組みや練習への姿勢で、みんなから「この人にならついて行こう」と思われるような姿勢を示そう。そして、自分が声をかけたときに、みんなの耳がいっせいに向いてくれるような状況を作ろう。そこをスタートにしようと思うようになったんです」
■ オリンピック予選の2か月前に、2度目のひざ前十字靭帯断裂。なぜ神様はこんなに頑張っている私に、これほどの試練を与えるのだろう?
「私は現役時代に2度、ひざの前十字靭帯を切っています。1度目は実業団に入って2年目、監督から「世界と戦いたいならガードに換わったほうがいい」とポジション変更を言われて取り組み始めたときでした。このときは若かったこともあり、1年ほどのリハビリで復帰したのですが、2回目はアトランタ五輪に向けて頑張ろうと、予選前のドイツ遠征中に、今度は逆の右ひざの前十字靭帯を切ってしまったんです。ちょうどオリンピック予選の2か月前で、これからキャプテンとしてチームの士気を高めて行こうという時期だったので、もうこれで予選には間に合わない。チームを引っ張って行かなければいけない自分が、逆にチームメートの足を引っ張ってしまった。本当に申し訳ないという気持ちと同時に、「なぜ神様はこんなに頑張っている私に、こんな試練を与えるのだろう?」と大きなショックを受けました」
■ 5か月間におよんだ入院生活の中では、仲間の活躍を素直に受け入れられないことも。そんなとき、相手チームの選手たちからも激励のメッセージが。敵味方なく応援してくれた仲間のために、もう一回コートに立つんだという強い気持ちになりました
「手術をすれば2週間で退院できる。そこからリハビリに入ればオリンピックの本番には間に合うというので手術をしたのですが、ひざの腫れがなかなか引かない時期があり、入院は5か月に延びてしまいました。オリンピックの日程が決まっている中で、退院がどんどん延びて行くことで気持ちの焦りも生まれ、入院中は予選を戦ってくれている仲間の活躍を素直な気持ちで受け入れられませんでした。特に自分のポジションに入った選手の活躍は、チームには勝って欲しいけれども、そんなに活躍されてもという気持ちになって複雑でした。そんな自分がものすごく嫌で、この気持ちをどこへ持って行ったらいいか分からず苦しみました。それでも、チームメートが寄せ書きのボールを贈ってくれたり、「裕花さんのために五輪切符を獲るよ」と言ってくれたり。特に嬉しかったのはリーグで対戦している相手チームの選手たちが、激励のメッセージをまとめて贈ってくれたことでした。自分がそんなふうに思われているとは思わなかったので、とても嬉しかったですね。「私は敵も味方もなく、みんなに支えられているんだ」と。母からも「神様は試練を乗り越えられない者には試練を与えない」と言われて「よし、もう一回頑張ってコートに立とう」という強い気持ちになれました」
■ パス一つでも、受けての気持ちをどう思いやれるか。ボールに思いを込めながらつなぐ。チームスポーツはそこを考えるスポーツではないでしょうか
「私は『思いやり』という言葉が好きなんですね。チームスポーツは自分さえ良ければいいでは勝てないですし、チームメートをどう思いやれるか、バスケットボールもそこのところを考えるスポーツだと思っています。例えばパス一つにしても、相手が受け取ったとき、次のプレーに上手く入れるような思いやりのあるパスが大切ですし、シュートを打って欲しいときには、打って欲しいという気持ちを込めながら放ることも大切です。そういういろいろな思いをボールに伝えていけると、チームワークもプレーの質も良くなっていくと思います。私のガードというポジションは、チームの司令塔としていろんなパスを出さなければいけないんですが、アトランタ五輪で優勝したアメリカのガードでキャプテンをしていた選手は、ガードの役割について「みんなをハッピーにするポジションだ」と言っています。その話を監督から聞かされたとき「それができるってすごい幸せなことだな」と思ったことを今でも覚えていますが、パス一つでもそういう気持ちで臨めたらいいなと、いろいろな意味で思いましたね」

(6月21日:毎日インテシオ大会議室での講演より)