■ SCIXスポーツ・インテリジェンス講座
第2回「根拠のない自信を育てよう」 講師:大畑大介氏
日時:2012年5月26日(土)19:00〜20:30 
会場:神戸国際会館セミナーハウス大会場

第二回目となるSCIXスポーツ・インテリジェンス講座は、講師にラグビー元日本代表の大畑大介氏を招き、開催しました。大畑氏は、昨年3月に現役を退いて、現在は神戸製鋼コベルコスティーラーズのアンバサダーとして「神戸のラグビー」を広く伝える役割を担いながら、ラグビー中継の解説者などメディアへの露出を通してラグビーファンの拡大や2019年ワールドカップ日本大会の成功を目指しています。 

大畑氏がラグビーをはじめたのは、引っ込み思案で泣き虫だった氏を心配して、高校時代にラグビー経験があったお父様が、小学3年の時にラグビースクールに通わせたことがきっかけだったそうです。そして練習初日、かけっこをした時のこと。もともと走りに自信があったこともあり、見事一番に!みんなから「速いなあー!」とほめられ、大畑氏は「ラグビーは自分を表現し、認めてもらえる手段になる」ということに気がついたそうです。それからラグビーが好きになり、毎週、自宅から1時間かけてグラウンドまで通いました。「周りは野球をしている子どもが多かったですが、性格的に人と違うことをしてみんなの気を引きたい(笑)というタイプなので、ラグビーだったら、みんなが注目してくれる。なりたい自分になれると思ったんです」と当時を振り返ってくれました。しかし小学6年から中学までの間は、成長期独特の、くるぶしや膝の痛みで苦しめられ悩んだことも。それでも辞めなかったのは、「ラグビーから離れると自分を表現するものがなくなってしまうと思って、怖くて辞められなかった。それに父親から『AとBの二つの選択肢があったら、シンドイほうに行け!』と教えられていましたし、『自分で責任の取れないことはするな』と常に言われていたので、ラグビーを続けてみようと決意したんです」と話してくれました。

高校は、当時、全国大会に出場したこともなく、大阪府内でも5、6番手だった東海大仰星高校へ。ほぼ無名校にもかかわらず、大畑氏は入学早々、上履きの右足に「全国制覇」、左足に「高校日本代表」という目標を記入します。
「先生には、消しなさいと言われたましたが、結局、3年間、書いて履き続けました。それを消すことによって目標がなくなるのが嫌だったことと、僕にとってはラグビーを続けるための決意表明だったんです」
この2つの目標を達成するために、大畑氏は、チームの練習が終わった後、ひとり練習に励みます。「まだ足が痛くて、50mも7秒ぐらい。試合にも出られない状態だったんです。そこで、スピードを取り戻せば、もう一度輝けるかもしれないと思い、脚力を鍛えようと思いました。だけど努力している姿をチームメイトに見せるのはイヤだった(笑)」と話す大畑氏。秘密練習のお陰で、2年になった時の50m走のタイムは、5.8秒。1秒以上もタイムを縮め、努力すれば目標にたどりつけることが分かったそうです。スピードと自信を取り戻したことで、レギュラーを獲得し、2年時には全国大会にも出場。しかし大畑氏は初戦で腰を骨折してしまいます。3年時は大阪府予選敗退となり、入学当初に掲げた「全国制覇」は達成できず。もうひとつの「高校代表」も夢に終わるかに思えましたが、代表選手に怪我人が出て追加招集されることに。その時の直前合宿で、セレクターの先生と話す機会があり、大畑氏は「何で僕は最初から選ばれなかったんですか?」と質問を投げかけました。すると先生から「君はサイズが足りないと判断されたんだ」という答えが。「体が小さいと判断されたんです。それならサイズ以外のところで認められるにしようと思いました。体を大きくすることはできないかもしれないですが、スピードだったらつけることができるはずだ」と思い、それを契機に、「自分の長所を活かそう!」と考えるようになったそうです。

大学は、京都産業大学へ。「地方の大学では代表に選ばれるのは難しいだろうなと思ったんですが、日本一練習が厳しいことで知られる大学で、自分自身を追い込まないと、自分は逃げ道を作ってしまう人間だということを知っていたからです。それに地方の大学だって、輝けばきっと注目されるようになるだろうという根拠のない自信もありました」と京都産業大学へ進んだ理由を話してくれました。

そして話は2度にわたるアキレス腱断裂からの復活へ。1度目は、2007年1月トップリーグ最終戦vsヤマハ発動機ジュビロ戦で、右足のアキレス腱断裂。この時は、大畑大介を応援してくれている人たちに復活を見てもらいたいという思いと、右肩も痛めていて、かなりぼろぼろの状態だったことを知っていたお父様から「ラグビーやらせて悪かったな…」と言われ、このまま引退したら一生負い目を負わせることになる、との思いから復活を心に決めたそうです。また9月にはワールドカップフランス大会を控え、「これで代表に戻ったらメチャクチャかっこいいだろうな」という気持ちも。リハビリに耐え、ワールドカップ日本代表メンバーにも入り、誰もがハッピーエンドと思った時に、悲劇が訪れます。大会1週間前のポルトガルとの練習試合で、再び、左足のアキレス腱を断裂。大畑氏はこの時を振り返り「本当に泣きました。もう頑張る源がなくなってしまった、と思いましたからね」。しかし、それでも「このままでは終われない!」と強く決意し、大畑氏は再びグラウンドへ戻りました。

2010-2011シーズンを前に、大畑氏は引退を決意します。そして開幕前にラグビー界、スポーツ界では異例となる、引退を発表。それは大畑氏の中で、これまで応援してくれたファンの皆様にちゃんとお別れしたかったという思いと自らの引退キャンペーンをはることで、これまで自分を育ててくれたラグビー界に集客で貢献しようという思いがあったそうです。「どのタイミングで発表したら、マスコミに大きく扱ってもらえるかを考えて発表したんですけど、ザッケローニ氏のサッカー日本代表監督就任発表とぶつかってしまったんですよ」と笑う大畑氏。「どこで(身体が)壊れるか分からないが、小出しにプレーするのはイヤだった」との気持ちから、開幕から全力のプレー。また大畑氏には「神戸製鋼をもう一度日本一にして辞めたい」という思いがありました。その気力あふれるプレーに多くの人々が勇気をもらいます。しかしシーズン最後の試合を待たずに、大畑氏の身体は悲鳴をあげます。トップリーグ最終戦の豊田自動織機シャトルズ戦で、タックルを受け、右膝を負傷。試合後の記者会見で大畑氏は「想像していたのとは違うラストゲームでしたが、これまでのラグビー人生に悔いはありません。完全燃焼です」と言い切りました。

80名を超える参加者を前に、「根拠のない自信でもいいから目標を明確にし、それに向かって努力しよう」と自らのラグビー人生を振り返りながら語ってくれた大畑氏。「自分で自分の殻を破ってきましたね」と最後、講演を締めくくってくれました。

 
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